※ひどい話です・・・。 去年の夏は、知らないうちに数えきれないほど何度も繰り返していた。 今年の夏は、足早に過ぎていく。 僕は夏が終わるのが怖かった。 肘より上までの短いシャツを、着られなくなるのが。 「あ、あ」 涼宮ハルヒの精神状態だけではない。 僕の任務は、現状維持。 彼女の精神状態を良好なものに保つためには、 彼の精神状態も、同様にしなくてはいけない。 だから、彼女の願いを聞くだけではなく、 彼の願いも聞きたいと思っていました。 「大声を出すなよ」 「は、いっ・・・う、うう・・・!」 体中のあちこちに痣がある。 ただし誰にも見えないところにだけ。 顔は、よほどのことがない限り、殴らない。 そうされたのは数えられるくらいの回数だ。 だから、見られても言い訳で誤魔化せてる。 夏の間はよかった。 制服で見えなくなる部分が少ないから。 夏服が終わると、 彼が僕を傷つける範囲が、一気に増える。 「・・・これ、折ってもいいか」 「・・・・・・あなたが、そう、したいなら」 「そうか」 彼女たちがいる前では、一年前と何ら変わらない。 彼女が楽しそうに何かを提案して、 彼が少しの苦言を呈して、僕はその案を心から支持する。 結局彼も、朝比奈みくるも長門有希も、彼女の望むままに行動する。 それが楽しかった。 いつの間にか、ここは僕にとって、とても大切な空間になっていた。 「うあっ・・・!」 「意外と難しいもんだな」 だけどいったんその空間を離れると、 一年前にはなかった、 僕と彼の二人だけの空間が出来上がると、 そこでは、 経験したことのない苦痛が待っていた。
思い返せば彼は最初からそうだった。 僕にだけ、冷たい言葉。 僕にだけ、冷たい態度。 クラスの友人に接するのとは、だいぶ違う。 時間が経てば少しは変わるかな、と、 超能力者である僕をすぐに信用できないのも仕方ないと、 楽観視していました。 彼は彼女を変えた人。 きっと僕の運命も変える人。 出来れば嫌われたくはない。 信用されないよりは、してほしい。 僕なりに努力をしたつもりでした。 彼に、好意を持ってもらえるように。 そしてそれは徐々に実を結んでいるように感じました。 彼はほんの少しずつでしたが、僕に優しさを見せてくれるようになったんです。 けれど、ある一件を境に、 彼から優しくされることはなくなりました。 彼が階段から落ちて意識を失ったあの事故からです。 何があったのか話してはくれませんでした。 それから一月ほど、彼は必要最低限の会話しかしてくれませんでした。 二人きりの時間をなるべく作らないようにしているかのように、 避けられました。 僕が何をして彼の機嫌を損ねたのか分からず説明すらしてくれない。 納得がいかずに、彼女たちが帰った後、 すぐに帰ろうとしている彼の腕を、掴みました。 「待ってください。最近、僕を避けていますよね? 話をさせてください。あなたがそうする理由を聞きたいんです。 僕があなたの機嫌を損ねるようなことをしたのなら、謝りますから」 その時の彼の表情は見たことがないものでした。 思わず、掴んでいた手を離してしまった。 すぐ後、掴み返され、 そして、もう一方の手が、 僕の頬に、飛んできました。 「やめて、やめてください」 「いたい、です、殴らないで、くださいっ・・・!」 「ごめんなさい・・・、ごめんなさい」 何も言ってくれなかった。 ただただ、僕を、痛めつけるだけだった。 彼にここまでさせてしまったということは、 僕は、本当にひどいことを、気付かないうちにしたということ。 理由もなしに殴るような人じゃない。 僕が、悪かったんです。 「ネクタイ・・・、噛ませて、ください」 「・・・」 「声を、あげてしまいそうなので・・・」 「・・・分かった」 あなたがしたいなら、僕は文句を言わずに受け入れます。 あなたの気が済むまで。 全てが終わったら、きっと、話してくれますよね。 僕の何が悪かったのか、教えてくれますよね。 ちゃんと謝ったら、許してくれますよね。 床に投げ捨てられていたネクタイで、口元を縛る。 僕自身の手で。 きつく縛らないと、声が漏れる。 誰かに聞かれてはいけません。 「うつぶせになれ」 「・・・・・・」 「そうだ、そのままにしてろ。力入れるなよ」 「・・・・・・」 喋れなくなった僕に出来るのは頷くだけ。 言われたとおり、冷たい床に体を重ねる。 冬になってよかったのは暗くなるのが早いこと。 体のあちこちにある傷を、痣を、見られなくて済む。 やはり恥ずかしいです。 綺麗ではないものを見られるのは。 うつぶせになった僕の肘に、彼は膝をあてる。 手首を掴んで、 本来曲げる方向とは逆側に引く。 強く、引かれるたび、腕が、嫌な音を立てる。 折られても、平気です。 いつか治りますから。 病院に行って診てもらえばいいだけです。 大きな怪我は事故に遭ったといえば、彼女も納得してくれるでしょう。 僕、事故に遭いやすいんですよ、 昔から。 「ん、んん、ん」 「あと少しでいけそうだ、・・・一気にやるぞ」 「んんー・・・!!」 恐怖はあります。 痛みを感じないわけでもありません。 部室で二人きりになるたびに殴られて、蹴られて、 腕を折られるような行為を、望んではいない。 怖くて泣いてしまうこともあれば、 意識を失うこともあります。 でも、そのくらいひどいことをするときには、 彼は聞いてくれる。 してもいいか、と。 だから覚悟は出来ています。 「ううっ・・・・・・あ、う・・・・・・」 「・・・左腕は?」 「両、方は・・・生活に、支障、が」 「ふむ・・・。そうだな」 「すみ、ません」 見ただけでは折れているのかどうか、分かりません。 でも、強い痛みがあります。 だんだんと腫れもひどくなっています。 きっとこれは、骨折、なんでしょう。 交通事故でいいでしょうか。 自転車に乗っていたら、曲がり角で、急に車とぶつかったことにしましょう。 僕が悪かったんです。 不注意だったから。 何も、考えていなかったから。 僕が悪いんです。 「古泉くん。周りには注意しなきゃだめよ。あなたは大切な副団長なんだから」 「ご心配をおかけして申し訳ありません。以後は、細心の注意を払います」 「体育でもよく怪我するでしょ? 心配だわ。古泉くんて意外とそういうところあるから」 「すみません・・・」 彼女にまで迷惑をかけてしまいました。 言い訳で納得をしてもらえても、 それでよし、とは、なりませんよね。 当たり前です。 右腕が使えないままではいつもよりも役に立てません。 「古泉く・・・じゃなくてキョン、ちょっとこれ調べて」 「何で俺が」 「古泉くんは怪我してるからよっ。早く」 「ったく・・・」 何も、出来ません。 彼女が僕に頼んでいたことは、彼や、長門有希に回る。 朝比奈みくるが入れたお茶を運ぶくらいはできるのに、 「いいんですよ、古泉くんは安静にしていてください」 させてもらえない。 そのままの状態が一週間続きました。 僕は、何もできずにただ座っているだけ。 誰も僕に何も頼んでこない。 何も、言ってこない。 心配してくれてのことだと、分かっています。 でも・・・ ここには僕の居場所があったはずなのに、 怪我をしたことで、 まるで、 すぐに、 消えてしまったように、感じました。 放課後。 彼と二人きりの部室で。 彼は、僕の心を、 読んだように言ってきました。 「使えないんだよ、お前は」 「・・・・・・」 「いてもいなくても同じだ。ハルヒにとってな」 「・・・僕が・・・いなくても・・・?」 「そうだろ? 大体、お前に転校生以上の何の価値があると思ってる? お前に出来ることは俺にだって出来る、長門にも、朝比奈さんにも」 「・・・・・・」 「神人が出た時だけ倒してりゃいい。余計なことをするな」 余計なこと、とは、 僕が、今まで、皆さんのためになれると思ってしてきたこと、全部ですか? 本当は全部・・・必要なかったんでしょうか。 彼女が喜んでいるように見えたのは、僕だけだったんでしょうか。 「お前だけだ。ハルヒはお前がいなくたっていいんだよ」 「すずみやさんは・・・ぼくが、いなくても・・・」 「長門も朝比奈さんも」 「ながとさんも、あさひ、な、さんも」 「分かるだろ?」 「で、も」 僕は、一年と半年以上皆さんと一緒にいて、 このSOS団の中が、一番、居心地がいいんです。 どこよりも・・・ 皆さんと一緒にいるのが、楽しいんです。 今はまだお役に立てていないなら、これからもっと、頑張ります。 皆さんに、 あなたにも喜んでもらえるように、 僕が楽しませてもらっている分、 お返しが出来るように、頑張ります。 だからいらないなんて、 いなくても同じだなんて、 寂しいことを、言わないでください。 お願いします。 ここに、いたいです。 とぎれとぎれになりながらもそう言うと、 頬を、腫れるほど、強く、何度も、殴られました。 「まだ分からんのか」 「う、うっ・・・ごめんなさい・・・」 「お前はいらない人間だって言ってるんだ」 「いらない・・・いらない・・・」 「自覚しろ」 彼に言われるたびに、言葉が心に突き刺さりました。 まるで本当にナイフが刺さったみたいに全身が痛いです。 あなたの言葉は、本当。 あなたが僕に、嘘をつくはずがない。 あなたは、僕の運命を、決める人だから。 僕はあなたを信じます。 あなたが言うこと、すること、全てを信じています、ずっと。 だから、 あなたがいらないと言うなら、 僕は本当に、いらない人間なんだと、思います。 「う・・・っ、ううっ・・・・・」 認めるしかありません。 どれだけ悲しくても、寂しくても、 彼が、言うんだから。 右腕が動かないから、左手だけでは涙を拭いきれない。 頬も、胸も、ずきずきと痛くて、 押さえたいのに、押さえるための手が足りない。 「ごめんなさい・・・いらないのに、ここにいて・・・ごめんなさい・・・」 役に立ちたかったんです。 僕に出来ることを、精一杯、したつもりだったんです。 なのに無駄なだけで、 あなたには嫌われるばかりで、 もう、このまま、 いなくなってしまえば、いいのかも、しれません。 「古泉」 「ごめ、なさいっ・・・・・・」 「やっと分かったか。・・・それで、お前はどうする」 「ぼくは・・・・・・ぼく、は・・・・・・・」 必要のない僕は、 ここにいるべきじゃない。 皆さんにこれ以上迷惑をかけないように、 あなたに、 これ以上嫌われないように、 消えなくては、いけません。 でも・・・・・ 分かっているのに、 ここにいたいと、言いたくなる。 大好きなんです。 皆さんが、 皆さんと過ごす時間が、 あなたとゲームをする時間が、 あなたが、笑っているのを、見るのが。 大好きなんです。 傍で、見ていたいんです。 でも、それは、許されない。 思っても決して口には出せずに、 必死に声を押し殺しながら、 ただ、泣き続けました。 外は真っ暗です。 部室の中も、真っ暗です。 僕には、 何も見えません。 言わなくては。 僕はいなくなります、と。 口を開こうとしたとき、 ふと、 彼の指が、 僕の涙に触れました。 「それでもここにいたいんだろ」 「・・・・・・で、すが・・・・・・」 「俺が繋ぎとめてやるよ」 「あな、たが・・・・・・?」 あなたが、ぼくを? どうして? 「だから俺から離れるな。他の誰よりも、俺の言葉を優先しろ」 「優先、します」 「他の誰にも、気を許すな」 「あなた、だけ・・・」 「お前は俺だけを見てるんだ」 「・・・あなただけを、見ます・・・」 「そうだ」 そうしたら、 あなたが、 僕を、ここにいさせてくれるんですか? 「ああ」 そのとき、僕は初めて彼に抱き締められました。 僕にはあなたしかいません。 あなただけが僕を助けてくれる。 あなた以外の人なんて・・・本当は、最初から、見ていなかった。 ずっと、あなたにも見てもらえるのを、待っていました。 「・・・・・・古泉」 「はい・・・・・・」 「俺だけ、だからな」 「はい、もちろん、です」 「・・・長門も、朝比奈さんも、・・・ハルヒも見るな」 「はい。あなただけ、です」 「・・・・・・・・・」 あなたが僕に価値を与えてくれるなら。 あなたの言う通りに、生きていきます。 僕は、あなたのそばにいられれば、それだけでいいんです。 たとえ何をされても。 あなたにいらないと言われた日には、 ちゃんと、 自分で、いなくなります。 ・・・どうか、どうか、 捨てられ、ませんように・・・。