スペクタクル、奇跡。






この英単語を授業で習った覚えはない。
閉鎖空間とやらに連れて行かれ、
神人なんて大層な名をつけられた化け物を古泉が倒すのをただただ見ていて、
最後にあの世界が崩れる瞬間のことを、古泉はそう呼んだ。


















初めてあの空間に行ったとき、あいつはまだ中学生だったという。
夢中で神人を倒した後に崩れる世界を、
今のような捉え方はしなかっただろう。
もし俺が何気なく空を見上げたときに、
バリバリとひびが入って割れ落ちてきたら奇跡どころの騒ぎじゃないな。
この世が終わるのだとパニックに陥るだろう。









奇跡と、
綺麗な呼び方が出来るようになるまで、
どのくらい苦しんできたのか。















「ん……」







横で規則正しく息をしながら眠っている表情は、実に穏やかだ。







俺が昔の話を切り出そうとすると、






「昔は昔でしかありません。振り返ったところで変わるものでもありませんしね。
 今は全く苦に感じていませんから、心配はご無用ですよ」






0円スマイルと引き換えに流される。






そりゃあ、お前の言うとおりさ。
過去をほじくり返したところで何も変わらない。
朝比奈さんに頼んで助けてやることは出来るかもしれないが、
そうしたら今こうして寝顔を見守るような関係にはなっていないかもしれない。



だから何も出来ない。何もしない。







それでも知りたいんだ。
お前が何を考えて生きてきたか、何を抱えてこれからも生きていくのか。
例えばそれがたまに抱えきれないほど重たければ、
俺が手を貸してやれるじゃないか。











ちょっとしたスペクタクル




 
 


「僕、寝てました?」
「ああ。少しだけな」
「すみません。せっかくあなたが来てくださったのに」
「いいさ、そのくらい」











古泉の家をたびたび訪れ、
共に眠りにつくような関係になったのは、
つい二カ月ほど前のことだった。





閉鎖空間やら、
機関のメンバー同士での対立やら北高にいる仲間の調整やらで疲れきっていたこいつに、
たわいもない、ただ少しだけ優しい言葉をかけてやったのがきっかけだ。











二人きりだったとはいえ、
学校の、しかも廊下で抱きつかれるとは思わず、さすがに驚いた。
ハルヒの横暴には慣れてきたしちょっとやそっとじゃ驚かない自信があったのに。











あなたは僕の味方なんですね、







と、その言葉が、
そのときの安堵した表情や、
震えた声が、
今でも頭の中を巡っている。








ああ。
俺は確かに、お前の味方だ。


ずっと気になって仕方がなかった。



張り付いたような笑顔が和らぐこともないし、
誰も見ていないときにえらく落ち込んで顔を俯かせるお前が。





俺が、実は、ずっと見ていたことを、古泉はまだ知らない。

















「何か作りますね。簡単なものしか出来ませんが」
「コンビニでいいぞー」
「外に出る方が面倒じゃないですか」
「まあ、そうだな」









さっきまで寝ていたくせにもうてきぱきと動き出すあたりはこいつらしいな。















この、
曖昧な関係を何と呼べばいいのか、
呼び名が分からない。





古泉に好きだと言われたわけでもなく、
…俺の気持ちは伝わっていることと思うが、
付き合おう、なんて、言ってない。









こうして一緒に休日を過ごして、飯を食って、
腕を回して眠ることはあっても、それ以上は何もない。
古泉から求めてくることはもちろんないし俺から手を出していいのかも分からない。
拒まれたら、この微妙な温もりすら失うことになる。
一か八かの賭けに進んで出るタイプじゃないくらい、
俺を知ってる奴なら誰でも分かってる。









「目玉焼きは固い方がいいですか?」
「ああ、そうだな」
「かしこまりました」













この関係が悪い訳じゃない。








俺は、…古泉が好きだから、
他の奴より一歩か二歩先にいるという事実だけで多少は嬉しくなる。








「器用に作るもんだな」
「慣れてますからね」
「へえ。いつから料理なんてしてたんだ」
「さあ…いつからでしょう」










ただ、近いだけに、
さらに踏み込もうとするとさらりと受け流されるのが実に堪える。
大したことではない質問だと思うのに、
少しでも過去に触れるとその途端に拒絶されておしまいだ。







「覚えてないのか」
「ええ、気がついたときには、ですね」
「そうか」

















最初から心を120%全力で開けとは言わないが、寂しくなるな。
寂しいなんてことも、もちろん言わないが。



























「むう…」
「どうされました?」
「いや。したかっただけだ」










朝食を食べ終え、
またてきぱきと片付けを始める古泉の体を後ろから抱き締めてみる。
ぴた、と動きがとまりほんの少しの緊張感が走るものの、
払いのけられることもなく、
俺よりやや白い手が重ねられる。









いいにおいのする髪に唇を付けると、
くすぐったそうに笑って手の甲を撫でてきた。







こいつには分かっているんだろうか。
俺が、
キスをしたり、
それ以上も望んでいることを。








そのためには好きだと言うべきかもしれない。
後ろから抱き締めて、アイラブユーを?
とてもじゃないが自信はないな。

















「どっか、行くか」
「どこか…ですか?」
「デートしようぜ、ってことだ」
「はは、なるほど」











では、片付けを早々に終わらせてしまいましょう、と、
柔らかい動きで回されていた腕を解くと、
食器の片付けに集中した。
























行きたい所は、特にない。
食べたい物は、俺が食べたいもの。
だから、出かけるにしても行く先を決めるのは俺だ。










「たまには手でも繋いでみるか」
「ご冗談を」











俺だって元々主体性など持ち合わせていないのだから、
デートコースも限られていて、今日もいつもの公園に来ている。





表情を見ていると楽しくない、ようには見えんが、
実際のところは分からん。
古泉の考えは探ろうとすればするほど分からなくなる。











ハルヒが見ているわけでもないし、
楽しくなければ拒否なり何なり出来るだろうから、
少しは楽しんでいると思いたい、が、





…ったく、古泉になぜここまで悩まされなければならんのだ。
惚れた弱みってやつかね、こいつが。


























「来週は紅葉狩りだったな」
「ええ。電車で30分ほどのところに実に適した場所があります」
「紅葉を拾ってどうするつもりなんだか」
「部室に飾られるんじゃないですか?」
「持ち帰る役目は遠慮願いたいぜ」






前にも桜の花びらをかき集めさせられたっけ。
あれは校内だからよかったが、
紅葉入りの袋をサンタクロースのごとく電車で30分も運ぶのは御免だね。








「僕も手伝いますよ。紅葉に溢れた部室なんて素晴らしいじゃないですか」
「どうせすぐ枯れるだろ」
「美しいものは得手して短命ですからね。しかし、散ってもなお美しさを保つ落ち葉を
 最後まで見届けるのはなかなか風流ではありませんか」






自分もそうだと言いたいんじゃないだろうな。







「まさか。僕は涼宮さんが生きているうちは死ねません」










あいつなら不老不死の力くらい手に入れられそうだが、
お前もついていく気か?






分かっていたことだが、こいつのハルヒ崇拝は何とかならないんだろうか。



今のは、俺がそばにいるうちは、とか言うところだろう。
あなたを悲しませたりしませんよ、
なんて言ってくれればもやもやとした気持ちも晴れそうなんだが、な。
























こうして不満を感じるたびに実感させられるんだ。






いつまでも曖昧な関係ではいられない。
どこかではっきりさせなくては、
俺も、こいつも、辛くなるだろう。











ああ、気が重い。

























「どうかされましたか?気分が優れないように見えますが」
「まあ…そうだな」
「帰りますか」
「もう少しここにいる」
「そうですか…では、冷たい飲み物でも持ってきましょう」
「いいから、ここにいろ」









腰を上げかけたが、俺がそう言うと苦笑してまた座った。
言いたいことに気付いている様子はないが、
勘がいいし、少しは感づいているかもしれない。






誰も見ていないのを確認してから右手を掴んで背中の後ろで握った。
勇気を振り絞った行動に、古泉は目を丸くして繋がれた手を見てくる。















「手…」
「お前はっ…どう思ってんだよ」












強く握っているもんだから古泉が嫌がっているのかどうかも分からない。
予想よりも暖かいその手に触れられたことで、脳内の容量はオーバーだ。












「どう、とは?」
「俺は、…お前が、好きだ」
「!」
「だから、お前ときちんと付き合いたいと思ってる」















今のような曖昧な関係ではなくて、


会いたいときに会いに行けて、


好きだと思ったら伝えられるように、なりたいんだ。







我慢して、そんなのはなくてもそばにいられると言い聞かせても、
本心は違う。

































「あなたにそんな風に言われるとは…思ってもみませんでした」










ふう、とため息をついて、そう呟く。
呆れているのか、途方に暮れているのか、それとも。
古泉の表情を見ただけでは分からない。















「帰りませんか。…ここでするような話でもありませんし」
「…分かった」




















すぐに立ち上がったから、手も離される。
振り返らずに先を歩く姿に、俺は絶望的な気分になった。














言わなければいけないことだったが、
今じゃなくて、よかった。
これで古泉のそばにいられるのも終わりだ。
二人きりで休日を過ごすのも、腕の中に抱き締めて眠るのも。
















呼びかけることもできず、隣に並ぶことすらはばかられ、
人一人分くらいの距離を保ったまま、
古泉の家にたどり着いた。
























今日も振られたと泣きついてくる谷口の気持ちがやっと分かった。
あいつがこんなにマジで相手を好きになっていたとは思えんが、
振られるのは怖い。
谷口に泣きつくなんてごめんだが泣きたくはなりそうだ。
現に今も。









「…入ってください」











玄関で立ちすくんで入れなかった。
その話が始まるのを、なるべく後に回したかった。
けど、もう、タイムアップだ。

















後ろ手にドアを閉めれば古泉と俺だけの空間が出来上がる。
顔は見れずに視線は肩や腕、指先へと移る。






ただそれだけの断片を見ても、
好きだと、こいつが、すごく好きなんだと、実感出来た。







今まで言わずにどうやって我慢してきたんだろう。
こんなにも溢れて止まらなくなるような気持ちを、
どうして抑えてこれたんだろう。










しかし、ここで断ち切らなければ。
トラウマのように感じていた過去の失恋がかわいいものに思えてきたぜ。
こっちのほうがだいぶ堪える。

























「…古泉、ご…」





めんな、




と、





謝るつもりだった。




























言葉は、途中で途切れる。



















背中に腕が回ってきたから。


































「あなたが好きです」
「こっ……」
「言っては、いけないと思ってました」
















状況が飲み込めない。








古泉の声が、すぐ近くから聞こえてくる。
冷えていた体が、もう一つの体温から熱を貰って熱くなってくる。















「ずっと…言いたかった」

















腕に込められる力が強まった。









俺は、…古泉に抱きつかれているのか?
















「そばにいられるだけでも充分だと思っていました」








まるで俺の心を読んでいるかのような言葉が、古泉の口から出てくる。









「あなたは優しい方だから、僕に同情してくれているだけだと」





















恐る恐る、俺からも腕を伸ばした。







「ふ…」










いつもよりも甘い小さな声が漏れる。
吐息と共に耳にかかり、心臓が破裂しそうなほど心拍数が上がった。


















「好きです、好き、です、…大好きですっ……」

















これは、夢じゃないよな?




願望が見せている夢じゃないよな?





ちゃんと、古泉の体を抱き締めているんだから、
これは、現実だ。












「ま…マジかよ…」
「わっ」










体の力が一気に抜けて、古泉の腕をすり抜けてへたり込んだ。
















こいつは、同じ気持ちだったのか。 






お互いの気持ちが向いていないと勘違いして我慢して、
つまり、こいつが俺に何も話してこなかったのは、
同情だけでそばにいる奴にそこまで話せないという無用な気遣いだったわけか。








「大丈夫ですか…?」
「お、おう。ビビっただけだ」
「あなたはとっくに気付いているんだと思っていましたよ」
「俺だって思っていたさ」
「では…両想い、ですね」













照れ笑いをしながら言う古泉が、
あまりにも可愛すぎて、
頭を抱えて古泉にもたれかかるように倒れた。

























曖昧なままの関係を、何と呼べばいいか分からなかった。



ところが実際は面白いほどに同じことを考えていた。












分かったぜ、古泉。
こんなときにこそ使うんだろ?









これはちょっとしたスペクタクルですよ、
ってのはさ。






thank you !

また恥ずかしい話書いちゃった!
傍から見れてればばればれなのに気付かない二人とか萌えます



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