HB
忘れ物なんか、しちゃいなかった。 あの日は放課後遅くにテニス部で俺が最もかわいいと、 ランクで言えばAランクだがこれから伸びる素質があると見定めた女子に、 部活が終わるまで健気に待ち告白に挑んだというのに思い切り振られた。 遊んでそうだとか飽きっぽいだろうとか、 まともに付き合ったことのない俺だが悪いイメージがあるらしい、 打ちのめされて真っ直ぐ帰る気になれなかった。 あの長い坂道を、傷心状態で一人歩くのはさすがにこたえる。 もし誰かまだいたら、一緒に帰らないまでも話し相手くらいはしてほしいと、 全ての部活動が終わって生徒の声なんかどこにも聞こえない、 夕日も落ちかけている望み薄な条件だったが向かった教室に、 あいつがいた。
「やっぱりおかしいな」 「そうだね。谷口に限って、物思いにふけるなんてありえないと言ってもいいと思う」 「また振られたとか」 「いつものことだよ、それは。逆かもね」 「それこそ谷口に限ってありえんだろ・・・」 俺の悩みはとても口にできない。 今までなら、たとえば昨日の女子の件ならいくらでも面白おかしく話せるさ、 たとえどんなにこっぴどく振られても、次があるから這い上がれる。 だが。 昨日の、あれは。 「うおぉぉ・・・」 「谷口!?どうした!」 「何か出る?トイレ行く?」 キョン、すまん。 俺、お前が席についているのを見てられん。 体中の血という血が頭にのぼってきてのぼせそうだ。 昼は一人にしてくれと二人に伝え、 遅くに購買に向かう。 食べたいパンはほとんど売り切れていて、 いつも余っているあまり好きではないものを買った。 ・・・どうしてあんなことになったのか、全く分からない。 興味本位、酷い言い方をしてしまえばそれだ。 あいつに引かれるままにき・・・き・・・き・・・キスを、してしまい、 もちろんそんなものは人生初だ、 しかし男が相手だという衝撃よりも、 人の唇ってやつはこんなに柔らかいのかとか、 触れるだけであんなに気持ちいいのかという、 その衝撃が強かった。 今まで読んだどんな参考文献にだって、 キスがそこまでの破壊力を持つとは書かれていなかったんだから、そりゃ驚く。 頭が真っ白になって、どこで何をやってるか分からなくて、 いつの間にか、 ・・・あ、頭がいてえ・・・。 どうすりゃいいってんだ、これから。 普通にしてれば関わることのない相手だし、 何もなかったように振る舞えばいいのか? あいつだって、たとえば俺を好きだったとか、 そんな理由でああしたわけじゃないだろ。 ありえない、それだけはありえない。 好かれる要素はどこにもない。 だけど、 どう考えても、 初めて・・・だった、よな。 「た・・・谷口さん」 「どわっ!」 誰もいないだろうとふんだ校舎裏、 背後から声がかかる。 つけてた、のか? 古泉。 キョンと同じように涼宮とつるんでおかしなことばかり、している。 しかし頭が良く容姿も非の打ち所がないほどのレベルで、 常に笑顔を浮かべた穏やかな性格のこいつにファンは多い。 正直、男子生徒の中では最も敵に回したくない野郎だ。 そんな古泉が、笑顔もひきつらせて、 顔、真っ赤にしたり、して。 それ、うつるっ・・・ 「隣よろしいですか?」 「お、おうよ」 「ありがとうございます」 校舎にもたれかかって隣同士で座る。 何を言いに来たんだ。 忘れろと言われればいくらでも忘れる。 しかし、 この顔は・・・そんなことを言いそうにない。 「・・・あのさ」 「はっ、はい!」 「昼飯食わねえの?」 手には何も持ってない、もしかしてずっと俺を探していたのか? 買ったパンのうちましなほうを渡してやる。 が、古泉は首を振って受け取りを拒否する。 「それは、あなたのものです。僕は平気ですから」 「いいって。食欲ねえし、やるよ」 「っ・・・・・・」 急に、表情が曇る。 な、なんで? 「食欲・・・ない、のは、僕のせいでしょうか」 俯いて拳を握り、まるで今にも泣き出しそうに小さな声でそう聞いてくる。 お前のせいといえばそうだけど、 うっかり頷いたら傷つけちまうよな。 「そうじゃなくて、ほら、あれだよ。 小テストの結果がキョンより悪くて落ち込んでたんだ。 あいつ隠れて勉強してやがったらしい」 「小テスト、ですか。・・・・・・彼は、その・・・いい点を?」 「キョンか?ああ、涼宮が誉めるくらいのレベルだ」 泣きそうだった表情が柔らかい笑顔に戻る。 キョンの頭の悪さがそんなに心配だったのか。 「よかったな」 「・・・・・・・・・・・・」 お・・・い、 なんだ、 見つめてきたり、とか・・・ なんで、俺も、 こんなに心臓の音がでかくなってんだ。 「!!」 指先が手に触れる。 危うく飛び跳ねてしまいそうになった。 手、振り払わなくてよかった、 ・・・よかった? 日陰になってるわりにずいぶん暑い。 春が近いと言ったってこの気温はないだろう、 異常気象に、違いない。 「・・・昨日は、ありがとう、ございました」 「いや・・・そんな、礼とか・・・」 「・・・嫌じゃ、ありませんでしたか」 「へっ・・・」 「気持ち悪くなかったでしょうか」 俯きそうになる自分を奮い立たせるように、 俺の指を握ってこちらをじっと見つめて、 目は心なしか潤んでいるようにも見える、 頬は勿論真っ赤だし、 それを見ている俺にいたっては、 こいつが男なのに、 全男子生徒の敵だというのに、 少しだけ、 ・・・いや、もう少し、 ・・・いや、結構、 ・・・だいぶ、 かわいいとか、思ったり、思わなかったり、 いや、 思ってる。 「なか、った」 「・・・・・・!」 目の前の笑顔を見ながら逡巡する。 気持ち悪い? そんなわけ、ないじゃないか。 あんなに気持ちいいことなんて、今までしたことがない。 「古泉」 名前を呼んで、自覚する。 俺がキスしたのも、 体を重ねたのも、 間違いなくこいつだ。 昨日のは確かに衝動にかられた出来事だった。 何も考えずに、 何も分からずに、 その場の欲情だけでああした。 今は、 「あ、・・・」 「・・・・・・」 自分の意思で、唇を重ねた。 触れただけで、くらくらする。 顔に熱が集まるのが分かるし、 手だって震える。 昨日のほうがまだ、マシだった。 意識するとこんなに変わるものだったのか。 「んむ、うっ・・・」 昼飯なんかどうでもよくなって、 パンは地面に置きっぱなしにしたまま、 古泉を校舎に押し付けて唇を求め続けた。 遠くの方でチャイムの音がして、 ポケットに入れてある携帯が震える。 きっと、キョンか国木田だ。 うまいこと教師に言っておいてくれると助かる、 谷口は熱が出て休んでいますと。 本気で熱、 出てそうなんだ。 誰かが来るかもしれない緊張感と、 授業をサボってこんなことをしている背徳感、 どれもが熱を上げる要因になる。 飽きずにキスを繰り返しながら体を擦り付けて、 昨日を思い出してどきどきする。 こんなことをしていると、 錯覚しそうだ。 俺は好きでこうしてるんじゃないかと、 思ってしまいそうになる。 けど、 そのたびに古泉を見る、 ・・・昨日もそうだった、 キスをするときも何をしていても、 重なっているときは目を開けない。 ぎゅっと力一杯閉じて、開けようとしない。 息をするために唇を離すと、 大きく肩を揺らして呼吸しながら、 誰もいない空間に視線をずらす。 俺は周りから思われているより鋭いつもりだ。 どれだけ人間観察をしてきたと思ってる。 女子限定だったが、応用くらい効く。 誰だか分からんが、 お前も振られたのか? 涼宮か? それだったら悪いことは言わん、やめとけ。 キョンにも言ってやったな、これ。 別に誰だっていいけどよ、 俺にこんなことされてて、本当にいいのか? 「たに、ぐちさっ・・・我慢、できない・・・!」 膝があたるところはすっかり反応して、 古泉が更に先を求めてくる。 誰も来ないことを再度確認してから、 手を突っ込んで触ってやった。 俺、なんかで、いいのか? 「あああっ・・・」 出てくる声を、必死に腕を噛んで抑えてる。 まずいんじゃないかと、 俺じゃないだろうと、 分かっていてもそんな姿を見ていたら止まらない。 俺は、 そこまで出来た人間じゃないから、 欲望には忠実で弱いんだ。 気持ちいいって分かっちまったら、 お前の真意が違ったって、やっちまう。 「うう、熱くって、も、だめです」 「古泉・・・でも」 「一緒になりたいですっ・・・!」 ほらこれで最後の理性も崩壊だ。 俺は努力した、したんだ。 こんな言い訳を自分にしないとやりきれない自分も、情けない。 校舎の陰で抱きあって、 なるべく声をお互い抑えて、 だから漏れる息と肌の合わさる音だけ、聞こえる。 するつもりじゃなかった。 昨日だけに、なると思ってた。 それなら忘れられたかもしれない。 だけどもう、無理。 「古泉、古泉・・・」 「あ、あうっ・・・も、っと・・・」 後ろからのほうがきっと楽なのに、 少しやっただけで古泉はこちらに向き直り、 俺に跨ってきた。 苦しそうに顔を歪めたから無理をするなと諭しても、 向かい合ってしたいんだと小声で訴えてきて聞く耳を持たない。 苦しいのに、何でだろう。 俺の顔を見るわけじゃないのに。 首に回された腕、 腰を突き入れるたび、震える。 何度も悲鳴を飲み込みながら、 それでもしがみついて首元に頭を擦り付けて、 必死に動こうとしている。 途中から気遣える余裕がなくなって、 体の中に吐き出してしまって、 しばらくしてからも頭の中はすっきりしない。 どうしてこいつ、俺とこんなこと、するんだ? 昨日と同じように、終わってすぐに古泉は体を離して、 制服を整えてからふらふらと男子トイレに向かう。 俺が何を話しかけても聞いちゃいない様子で、 足元もおぼつかない。 個室に入った古泉が何をやってるかはあまり考えずに、 扉の前で待つ。 しばらくして出てきて、 「・・・平気?」 と聞くと、ぎりぎり作れた笑顔で頷いた。 後悔しているようにしか見えない。 ただ一時の熱で、 俺と体を重ねて、 全然、 楽しくないだろ。 昨日分かったのにどうして、また? だけど俺はそれを聞く勇気もないし、 きっとまた求められたら同じことをしてしまう。 携帯を開けばやはりキョンからメールが来ていて、 5時間目は誤魔化したが6時間目は出ろよ、 そんな内容が書かれている。 古泉、 お前は俺と違って優等生なんだから、出たほうがいいぞ。 髪を撫でそうになって、手を引いた。 俺がそうする権利はない。 それは、求められていない。 「・・・大丈夫です。一人で戻ります」 「・・・ん、分かった」 それ以上俺との接触を拒否するように、 はっきりと言われた。 それから少しだけ時間が経って、 毎日ってわけじゃない、 俺だって何かしら用事がある、 それでも週に何度かは、 校内のどこかで、触り合った。 場所はいくつかに限定されている。 多いのは、俺の教室。 ここはやめようと言いたい、 俺のトラウマになるからやめたい、 だがいつも負けてしまう。 しかも決まって、 窓際の後ろから二番目の席。 今日も、そうだった。 「・・・・・・古泉?」 終わって、古泉が落ち着くのを待っていたとき、 生徒は確かに全員帰ったはずだった、 SOS団の活動もとっくに終わったと古泉は言っていた。 それなのに教室に入ってきた。 その席に、 いつも座っている、 俺のクラスメイトが。続き物ばっかりですみません!自分を追い詰めてる気がする!