働き始めてから早一カ月が経とうとしていた。 三日で辞めなければ続けられるわよとのハルヒの言葉は本当かもしれない。 新しいマンションは居心地がよく、夕飯を朝比奈さんが用意してくれるので妹も喜んでいるし、 谷口と競いながらの客引きもだんだんコツが掴めてきた。 「はーいお姉さん、よかったら今夜は俺と遊ばないっ?」 谷口が軽いナンパのように声をかければ、 「こいつはやめておいた方がいいですよ」 「うおいっ!キョン!」 「俺たちのとこなら普通に飲めますんで」 「お姉さん、楽しく飲みたいっすよね!」 バカなキャラクターを売りにしている谷口と、 常にローテンションの俺との掛け合いが受けて、たいていはどちらかの店に来てくれる。 この分析は長門のものだが、谷口はただのバカであり俺はこれが通常のテンションだ。 客になりそうな女性の見極めは圧倒的に谷口がうまい。 夜の仕事をしていそうな女と、キャリアウーマン風の年上の女が狙い目だとか。 自分が声をかけたのに俺が連れていっても文句もなく、 「次はうちに連れてくからなっ!」 と親指を立ててみせるこいつは、バカだがいいヤツだ。 こういうバカは嫌いじゃない。 「今月の売上を報告するわ。みんな、喜びなさいっ!先月から20%増しよっ!」 「わあ、すごいですねえ〜」 「キョンがたくさん女の子を連れてきてくれたからかな」 「いやいや…」 「この調子で来月も頑張ってちょうだいっ。あと、キョン」 「ん?」 「来月は接客にも回ってもらうから、そのつもりでいること」 「なにっ…!」 朝比奈さんや国木田から期待の眼差しが向けられる。 せ、接客。 俺に出来るのか? 客引きだけやってるわけにはいかんとは思っていたが、ついにこの時が来てしまった。 「へぇー、キョンもついに中か」 「気が重い…」 「そう言うなって。これから寒くなるしよ、客引きは辛いぜ」 「お前は?接客はやらんのか」 「ぼちぼち任されるみてーだけど、うちはほとんどが会長目当てだから、ヘルプ止まりが目に見えてるぜ」 「ふむ…」 女ってのはああいうタイプに弱いのか、俺なら谷口と話してる方が楽しいけど。 色気はないわな。 「それに、今度すげーのが来るらしいんだ」 「何?」 「うちのオーナーが自信満々で連れてくる新しいホストさ。 最初から客引きも雑用もなしで客相手させるらしい」 「有名店から引き抜きしたのか」 「いや。それがまったくの初心者らしーんだよな」 「マジ?」 「よっぽどツラがいいんだろ。うらやましいもんだぜ」 へえ。どれだけの顔だか知らんが、あのオーナーがそこまで認める男がいるのが意外だ。 ハルヒと楽しそうに話している姿を見たことがあるが、 仕事は仕事で割り切るタイプに見えた。 実際、会長と呼ばれているあの男だって最初は二ヶ月も客引きをさせられたらしいし。 「こうして俺の活躍の場は減っていくのさ・・・」 「客引きナンバー1だろ? 頑張れ」 「くそーっ。キョンも頑張れよ!指名とれよ!」 「ほどほどにな」 店の中に入ると、一気に緊張感が高まる。 まずは国木田を指名に来たグループに一緒に入った。 酒を注ぐだけでも、煙草に火をつけるだけでも、 練習通りにやるのは難しい。 「ふふっ。この子、新人くんなのね」 「緊張しちゃって、かーわいい」 「あんまりキョンを苛めないであげてよ。辞められたら困るからさ」 「やだ、いじめたりしてないわ」 「ねー」 国木田はさすがに慣れてる。 俺がほとんど話も出来ないまま座っているだけでも、 彼女たちは楽しそうだ。 このままじゃダメだな。 俺も頑張らないと。
「そうなのかいっ。じゃあ妹ちゃんも料理を?」 「ハイ。朝比奈さんに教えてもらって、オムライスを作るように」 「すごいじゃないかっ」 「ラップに包んで冷蔵庫に俺の分を入れておいてくれたりするんです」 「ううっ、泣かせるねえ。そんなキョンくんにドンぺリひとーつっ!」 「ドンぺリいただきましたー!」 「ありがとうございます、鶴屋さん」 「いいのいいの。あたしは頑張ってる子には弱いのさ」 朝比奈さんの旧友で、ここにたまに遊びに来てくれる鶴屋さんという どうやらお金持ちらしい女性が、いつも指名してくれるようになった。 想像していたより気を遣う仕事だが、 想像していたよりは、辛くない。 酒にも強くなった。 もらえる給料も格段に上がった。 ずっとこの仕事を続ける気はないが、 妹が卒業をするまでは頑張ろう。今はそう思える。 「ところでキョンくん、向かいのお店の新人クン、見たかな?」 「ああ、前に谷口が言ってた奴ですか。まだ見かけてないですね」 「あんまり入ってないみたいで、あたしもちらっとしか見てないんだけど、 中々の好青年だったよ。スーツが似合っててさ、完璧な笑顔だったさっ」 「へえ……」 笑顔、ねえ。 見送る時に笑顔で礼をする、これが一番苦手な俺にとっちゃ、うらやましい話だぜ。 一度は見てみたいと思うが時間帯が合わないのか、見かけたことすらない。 鶴屋さんの話や、最近忙しそうにしていてゆっくり話も出来ない谷口が 前に言っていた話を統合すると、相当、期待の新人らしいことは分かる。 とはいっても、新人一人でどうにかなるもんでもないだろ。 俺たちは俺たちなりにやっていけばいい。 と、軽く見ていた俺の考えは甘かった。 「今月の売り上げを報告します」 月末の定例会でのハルヒの声が重い。 暗い雰囲気が、辺り一面に満ちている。 「先月から40%落ちたわ。過去最低よ」 「な……」 「みんなはよくやってくれてると思う。でも、あっちが。 それ以上にやってくれたわ」 悔しそうな視線は窓の外の店に向けられた。 向かいのライバル店だ。 客足が遠のいてるとは思わなかったし、 店内は常に賑わっていたぞ? なのに40%も落ちたとは。 詳しく聞けば、向かいに入った新人がとにかくすごいらしい。 一気にナンバー1の座に上りつめ、 女性客を総なめにしているとか。 うちの店に行った後にそいつの写真を見せられてはしごする客も少なくないらしい。 そして恐るべきことに、 向かいの店に、多くの男性客が出入りしているとの情報もある。 「男ぉ?」 「そうよ。中世的な魅力があるみたいね、その新人は。 女性だけじゃなく男性からも人気があって、 男性客って気にいれば女性よりもずっと、お金出すから。 客単価が上がれば儲かるわよね」 「その層はあえて狙ってこなかったけど、ついに本気を出したね、あっちも」 「国木田、あんた、真似できる?」 「うーん、涼宮さんに命じられれば頑張るけど、自信ないなあ」 「そうよね。あ、大丈夫よ、キョンには期待してないから」 よかった! とほっとした半面、今の言い方は若干癪に障るな。 男に人気、ねえ。 とてもじゃないが、笑顔を振りまく自信は俺にもない。 国木田すら渋い顔をしているくらいだ。 どんな奴なんだろうな、そいつは。 変に興味が湧いてきたぜ。 それから数日後、俺は、そいつを初めて見た。 名前を聞かなくても、 外見の特徴を知らなくても、 一目見ただけで分かった。 オーナーである森さんという女性と並んで歩いてくる男。 白いスーツでいかにもホスト然とした格好のくせに、嫌味がない。 清潔感があって、こんな場所には、似合っていなかった。 「あら、こんにちは。クラブSOSのキョンくん、だったわね」 「どうも」 「こっちはうちの一樹。入ってまだ一ヶ月くらいの新人よ。 ライバル店だけど、何か問題があれば指導をよろしくね」 「はじめまして、一樹です。よろしくお願いします」 「ああ……」 栗色のさらさらとなびく髪。 男のくせに長い睫毛、二重でくっきりとした目、 肌は、下手するとハルヒよりも白い。 握手を求められ手を差し出すと、よっぽど長い間外にいたのか、 人とは思えないほどに冷たくて驚いた。 驚いた、が、 その手を離したいとは、思わなかった。 一礼して去っていく、後ろ姿すら目を奪われるほどに完璧だった。 あいつが、谷口や、鶴屋さんや、ハルヒが言っていた、新人。 一樹。 一樹、 一樹。 おいおい…… 男性客が多い、その理由が、参ったことに、分からなくもない。 俺でさえ動けない。 離れた手を、どこへやったらいいか分からない。 一樹。 あいつ、何者だ?
前にアップした時からどれだけの日が経ったかという……
ぼちぼち続きます( ´∀`)