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「古泉? ……ん、終わった。
 教科書返し忘れてて……あー、いや……

 明日すぐに必要だろ」












言いたいことが伝わると、古泉は驚いて息を飲んで一瞬言葉に詰まった。
しかしすぐに声を弾ませてくる。






「……わかった。今から向かう」













教科書を返すだけで家に行く、か。



さんざん部室でも話したというのに、
これ以上古泉に会ってどうするんだ。
明日も会うのに。
別に、好きでもないのに。







今日最後に見た古泉が別れ際の寂しそうな顔じゃ帰れないってのは、どうなんだよ。





俺はあいつに惚れかけてるのか。










交渉材料(後)
















「本当に来てくださったんですね、どうぞ」
「教科書返しに来ただけだぜ」
「でも、せっかくですから。夕飯も食べていってください」








茶だけでいいと念を押して部屋に上がる。
綺麗に整頓されていてさわやかな香りが漂う室内は、
窓辺に花が飾られて本棚には教科書と参考書が敷き詰められ、
制服はきれいにハンガーにかけられていたりと、実に古泉らしいものである。
ベッドに背中を預ける形で床に座ると目の前に紅茶を置いてきた。






「あなたが僕の部屋にいるなんて、夢のようです」
「大げさだな」
「ふふっ。すみません」












ここまで分かりやすく喜ばれると悪い気はしない。
紅茶に一口、口をつけてから、じっと見つめてみる。




見つめられることに照れているのか、
いつもなら喋り出すと止まらない古泉がぱちぱちと瞬きを繰り返して固まっている。



















こいつの見た目は、好きか嫌いかでいえば好きだ。
同性としての魅力よりは異性寄りのものがある。
男らしさ、ではなく、柔らかさとか穏やかさといった成分が強い。
男でさえなければ付き合ってもいいかもしれない。
最近の行動も、的確に俺の心を撃ってくる。
弁当を持ったまま転んだり怪我をしたり、完璧じゃないところが、逆にいい。









「あ、あの……何かついてますか」
「ついとらん」
「では……見てるだけ、ですか」
「そうだ」








おいおい、そんなに照れるなよ。
お前、マジで好きなのか、俺を。

















付き合わないで手だけ出されることだって、あるぞ。
俺がもう少し酷い人間だったならお前には甘い言葉を囁いておいて、
実際には何も機関側に協力せずに飽きたら捨てる、ってことも、出来るんだ。
考えただけで暗い気分になるからやらんが、危機感を持てという話だ。








「わっ……!!」






教えてやろうと思い、手を掴んだ。
思いのほか暖かい。
色白だから体温が低いと決めつけていたがそうではなかった。
もしかすると俺と二人きりだから発熱しているのかもしれない。
こいつならなりかねん。







「え、あ、えっ? こ、これはっ」
「目閉じてみ」
「ええっ!」
「早く」
「は、はは、はい」









からかいがいのある奴だな。





戸惑いながらも閉じられた目、そこを覆う睫毛が緊張で震えている。
うっすらと茶色の混じった髪の色に近い長い睫毛だ。
閉じていても何か言いたそうな唇は綺麗な紅色で、白い肌によく合っている。












ここまでで終わらせる予定が、
見ているとしたくなってきた。


唇と唇を重ねるだけの行為に深い意味はない。


そのくらいやったってなにも変わらないさ。
どうせ古泉は俺を好きなんだ。
こうして目を閉じて待っているのもしてほしいからであり、
したところで強制的に付き合えなんて言わないはずだ。






古泉だから。








「そのままでいろよ」










どんどん赤くなっていく顔が面白い。
口を閉じていろとは言っていないんだが、
声を出しては駄目だと思っているのかこくこくと小さく頷くだけで何も言わない。













お前、かわいいな。














「っ……!」





後頭部に手をやって、そのまますばやく唇を合わせた。







一度だけ、と思っていたのに、
その瞬間があまりに心地よかったからもう一度、
さらにもう一度、重ねる。






















俺の決意はどうしてこうも崩れやすいのか。






繰り返しているうちに、
絶対に古泉と付き合ったりしないと硬く誓ったはずの決意までが崩壊しそうになる。








唇を離すと何か聞こうとしてくるからまたすぐに塞ぐ。
今は言葉を交わすよりもこうしていたい。
触れるだけじゃない、舌を伸ばしてさらに一段階上まで進んでみる。










よほど驚いたらしく、古泉の指が腕を掴んできた。
少々痛いが気になるほどじゃない。
このくらいは許してやろう。















「ん、んむ、うう」













息を吸うタイミングは自分に合わせていたからついに途中で古泉の呼吸がおかしくなり、
離した瞬間に後ろに倒れてしまった。
慌てて頭を押さえて抱き起こして背中を擦る。





今にも閉鎖空間で見せたあの赤い球に変身しそうなくらい赤くなった古泉は、
俺のシャツを掴んで必死に呼吸を整えた。















「悪い。苦しかったよな」
「大丈夫、です……」





やっと落ち着いてくると、俺の顔色をうかがいながら、胸に顔をうずめてきた。















「どう、でしたか」
「どうって?」
「僕と……キスして、気持ちよかった、でしょうか」





そりゃまあ、気持ちよくなけりゃあんなに何度も出来ないだろう。





「よかった……びっくりして、まだ、練習もしていなかったので、心配でした」










……練習?



そりゃ、何のことだ?




料理の練習なら分かる。だが、キスの練習、ってのは。














「何も経験がないもので、今度圭一さんに教えてもらおうと思っていたんです。
 裕さんには断られたんですが圭一さんはこっそり教えてあげるよ、と」
「…………」
「あなたに好きになってもらうために、大切なことですから」
「……お前は馬鹿か……」
「えっ……何故ですか」








しておいてよかった、今日。
そうでなければ俺はおかしな調教を受けた古泉とキスをして喜ぶところだった。










「俺はやり慣れてるお前なんぞ絶対に好きにならんぞ」
「そ、そうなんですか……!」
「当たり前だろ。今すぐにその練習は取り消せ、二度とそんなことを考えるんじゃない」
「は……はい、分かりました」











さっそくメールを打ち始めた。









はあ、こいつ、本当に馬鹿だ。
完璧じゃないにしても、
どこか抜けているところがかわいいとはいっても、これはいかん。
放っておくとうっかり大変なことをしそうだ。不安で仕方がない。











「お前、好きにさせるためなら体まで使う気か」
「あなたが僕の体に興味を持ってくださるなら、ですが……それはそれで嬉しいことです」
「言っとくがお前がやられる方だぞ」
「ええ、それも分かっています」










確かめてみたが、思った通りだ。
なんてことを考えてるんだ。
森さんは好意で料理を教えていただけだからよかった。
裕さんもまともな人だ。
だが圭一さんに至っては遺憾の意を示すよりほかない。
特殊な性癖の持ち主……なのか。マジで。









いや、古泉ならいいかもしれないと思っている俺も同じようなものだ。











「上手にはできないかもしれませんが、僕、頑張りますので。
 したくなったらいつでも言ってください」








こちらが脱力するほどの穏やかな笑顔で、さらりと大変なことを言ってくる。



馬鹿、と何度言っても言い足りない。
頭を抱えて呻くとどうしたんですかなんて焦った声を出して肩を撫でてきた。





















馬鹿。
お前は、馬鹿だ。
頭がいいくせに。


どうして自分を大事にしようと思えないんだ。
男だぞ、お前は。
やられて捨てられたら傷だけが残るんだぞ。
分かってないだろ、ことの重大さを。












ただ、お前は馬鹿だけど、一つだけ褒めてもいい。

それは、相手に俺を選んだってことだ。














仕方ないからお前が自分を大事に出来ない分俺がそうしてやる。






























「……そんなに俺が好きか」
「はい。好きです」
「じゃあ、そう言いながらキスしてくれ」
「えっ……あ……はい」















けど俺は俺の意志でお前を大事にするのであって、機関の策略にはまる気はない。
だからお前に付き合おうとも言わないし、好きだとも言うつもりはない。


















「あなたが、好きです」





けど、お前がいくら馬鹿でもお前くらい頭が良ければ気付くだろう。






「……好き、です」













お前にそう言わせて喜んでる俺に。

























「あ、ふっ……はう……」
「古泉……」
「んう! み、耳元で、言っちゃ……だめです」
「どうしてだよ」
「それは……」







耳が敏感なのはよーく分かった。
それならそこに集中させてもらう。




左耳に息を吹きかけてから二、三度名前を呼んでやり、
さらに舌でべろりと舐めてみる。











「あ、あうう……! だめ、ですっ……!」
「何がダメなのか言ってみろよ、古泉」
「ぞく、ぞくして、た、たっちゃい、ます、から……っ!」









はい、正直に言いすぎ。









そいつは確かにダメだな。
お前とキスすんのは気持ちいいけど、それ以上のことをやると引き返せないからな。






















「大好きです……」







軽いキスだけを何度か繰り返して、
あまり刺激的なことをするのはやめておく。
キスだけでも、古泉の表情は十分恍惚としていて、
照れくささよりも気持ちが勝っている状態のようだ。







同様に、俺もだいぶ、気持ちよくなってきた。
極端に言えばそれはセックスをしたいというような快楽ではあるが、
今、古泉を押し倒す気分ではない。













「古泉っ……」
「ん、ん……はう、う……」
「好きです、だろ?」
「あ……はいっ……すき、です」










機関とかなんとか、どうでもいいじゃないか。







お前が俺を好きで、
俺もお前が好きかもしれなくて、
こうしてキスをして気持ちがよければ、
付き合うとか、
機関に協力するとかしないとか、もう、どうでもいい。









逆に言えば、
別に付き合ってもいいかもしれない、ってことだ。
交渉材料としてじゃなく、
俺と、お前で。




































「帰ってしまうんですね」
「親に怒られるから、な」
「そうですよね……すみません。引き止めたりして」
「また明日会うだろ」
「はい。それまで我慢します」








終電の時間までずっと、抱きあっていた。







オフクロからは何通も怒りのメールが到着しているが、全て無視してきた。
帰宅次第雷が落ちてくるだろう。









それでも構わない。どんなものと引き換えにしても古泉と一緒にいたかったんだ。


別れ際に後ろ髪を引き放題の言動にまた抱き締めたくなったがここは屋外だ。
まだ人もまばらにいる。軽率な行動はやめよう。











「今日は本当にありがとうございました。どうぞお気をつけて。
 無事に帰られたら、一行でいいので、メールをください」
「分かった。じゃあな」



















帰宅後、想像した以上の落雷を受けながらも、俺の心は浮かれていた。













古泉。







お前を好きになるとは本気で想像してなかったぜ。
思うんだが、もしかすると体の相性ってのがいいんじゃないか?
ためしにしてみたキスでそう思った。
一度触れただけでもそう思ったんだ。






他の経験は経験値としてカウントしていいのか分からないあの閉鎖空間での、
だけだから参考にならないかもしれないが、少なくとも現時点ではダントツだ。

















機関へは適当に報告させることにした。
付き合い始めたと言いたければ言ってもいい。
そうしないで、見込みがないからと古泉を別のところに飛ばされたらたまらん。









ただし機関の思い通りにはならない。
言うことを聞く気はないし、
未来人や宇宙人だって同じくらい信用しているからそちら側につくことだってある。













だが、古泉の力にはなろう。
あいつは俺の立場を利用するようなことは絶対にしない。
できないにきまってる。
だから、それでもあいつが助けを求めてくるのであれば喜んで助けてやるさ。


 










それでいいよな。
それで十分だよな。
お前が俺のそばにいる理由は。
































『・・・森さん? 僕です、古泉です。・・・交渉に成功しました。
 ええ、僕を選んでくれるそうです。大丈夫ですよ、彼はきっと、もっと、
 僕を好きになりますから。・・・それでは、また報告します』









thank you !

/(^o^)\




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