HB
一カ月前のあの日、学校からの帰り道に、僕は彼に告白されました。 全く予想のしていなかったカミングアウトに大層驚きましたが、 家に帰って落ち着いて今までのことを思い返してみると、 そんな発言や行動が随所に見受けられたことに気付き、 むしろどうして考えもしなかったのか、自分の鈍感さにため息をついたものです。 意識をし始めると、目が合うだけで心のどこかが苦しくなる。 これは、彼の気持ちに応えられない痛みなのだと思います。 前みたいに話せなくなって、 二人きりでいるのが辛くなって、 彼が近づいてくるだけで身構えてしまう。 そのたびに彼は悲しそうに距離をとります。 顔に出すわけでも、声を出すわけでもないけれど、その感情が伝わってくる。 「古泉、あのな」 「は、はい」 「……ホワイトデーの、ハルヒたちのことで、話がある。まだ決まってないだろ、 今日は帰らずに部室に残ってくれ」 「…………」 「…………」 ホワイトデーが一週間後に迫ったその日、 朝比奈さんが着替えている間、 部室の扉の前で、彼が小声で言ってきました。 そう、何かしなくては、 涼宮さんたちが喜ぶようなことを、 でも、あなたと二人で? そうしなくてはいけないと頭で分かっていてもすぐに頷けません。 「お待たせしましたあ、どうぞー」 「ありがとうございます」 首を振れないまま、朝比奈さんの呼び声が聞こえる。 僕は彼女にだけ笑顔を向けて、部室に入った。
「そろそろあたしは帰るわ。みんなは?」 「あ、あたしも帰りますー」 「有希も一緒ね。キョンと古泉くんは?」 「……僕も、」 「古泉。残れ」 彼女が鞄を手に立ち上がり、 朝比奈みくるも、 長門有希もそれに続き、 僕もそうしようと椅子に手をかけたとき、彼の低い声が、僕に刺さる。 「あ、ええ、そう、でしたね」 涼宮ハルヒは少しだけ訝しんだものの、 特に気にせずに、「そう、じゃね」と、二人と並んで、部室を出る。 彼女たちの前でああ言われて、断れるわけが、ありません。 彼女たちの楽しげな足音が聞こえなくなると、 ……彼の視線が痛い。 ごめんなさい。 僕、あなたの気持ちには…… 「で、どうする」 「えっ……」 「ハルヒたちの。少し考えたんだが」 「は、はい」 「あいつ、歌好きだろ。去年はホストで失敗したから、 今年は歌ってのはどうだ。歌唱力に自信はもちろんないが」 「なるほど、それは、面白いかもしれませんね」 「二人組のアイドル歌手とかいんだろ。その辺を適当に真似て」 「はは、アイドルですか」 「笑うなよ。一応、真剣に考えた結果なんだからな」 「はい。ちゃんと、練習します」 ルーズリーフには彼が考え付いたユニット名が書かれていて、 僕もテレビや雑誌で見たことのある名前ばかりです。 歌はあまり知りませんが、一週間練習すれば、 それなりに聞かせられるくらいには出来るでしょう。 あなたの歌声は、ちょっと、面白い、ですが。 彼女は喜んでくれると思いますよ。 あなたがこんなにちゃんと考えて、 心をこめて、歌ってくれたら。 あなたには、彼女が似合うと思います。 あなたが選ぶべき相手は僕じゃない。 そう言わないと。 「お前が高いパートな」 「分かりました。3日前と前日に合わせる、ということですね」 「ああ。楽器は軽音に借りる。多少、顔も聞くし」 言うタイミングが掴めません。 彼の話はぽんぽんと進んで、 今日の帰りに二人でギターを借りて、 一週間で練習して、 二回合わせて、 本番を迎えることに、しました。 帰り道も打ち合わせの話だけ。 彼がまた僕を呼びとめたり、 塀に押し付けることは、ありませんでした。 彼は優しい人です。 僕のために、いろいろなことを、してくれます。 僕が嫌がることは、何一つ、してきません。 二人きりになっても、あの話をしたり、 返事を求めても、こない。 本当は聞きたいんですよね、 僕の答えを。 でも、待っていてくれている。 「調子はどうだ」 一度目の二人での練習の前日。 眠そうに眼を擦りながら、彼が聞いてくる。 よほど練習をしているんでしょう。 「まずまずといったところでしょうか。明日はどちらで合わせますか?」 「カラオケとかで、いいだろ」 「カラオケ、ですか」 カラオケボックス。 あの空間は、 狭いところに二人きり……。 学校なら声を上げれば誰かに気付いてもらえる場所です。 でも、カラオケは、勝手が違います。 何かあっても咄嗟には…… 「……学校がいいなら学校でもいいぞ」 「えっ」 「嫌なんだろ、カラオケ」 「そ、れは」 「いいぜ。音楽室借りればいいし、ギター、持ってくんのは重いかもしれんが」 「いえ、特に、気には」 「じゃあそうするか」 寂しそうです。 俯いたまま、目を合わせてくれない。 声は、いつもと同じように聞こえるけど、どこか、震えているような……。 翌日は土曜日でしたが、 待ち合わせが音楽室なので、 制服を着てギターを持って、坂を上りました。 彼は先に音楽室にいて、 一人、先に練習をしています。 「すみません、お待たせしました」 「おー」 「早速ですが、やりましょうか」 「ああ」 あの日、 僕は、ちゃんと考えますと、言った。 あなたは今でも返事を待っていますか? それとも、僕の態度で、分かっているんでしょうか? 好きだ、 付き合って欲しい、 好きになってほしい、 抱き締めたい、 毎日そうしたい、 彼から言われた言葉が、頭から離れない。 あんなにまっすぐに想いを打ち明けられたのは初めてでした。 僕と二年弱、ほとんど毎日を一緒に過ごして来て、 僕を好きだと言ってくれた。 僕を知って、事情も背景も理解した上で、 ……男なのに、好きだと、言ってくれた。 嬉しくないわけじゃない。 真剣な想いが、嬉しくないはずはない。 たとえ受け止められなくても、 真摯な返事をしなければいけないのに。 あなたがこのまま諦めてくれることを、 どこかで望んでしまっている。 最低です。 休日の校舎には、あまり人がいません。 部活動は外で行っているから、 校舎内には、入って来ない。 二人だけの空間がずっと続きました。 それでも彼は、 あの日のことは、何も触れなかった。 二日後も。 そして、ホワイトデー、当日。 皆さんへのお礼はうまくいきました。 今年は閉鎖空間が発生することもなく、 笑われはしましたが、 努力の跡が見えるからよし、だそうです。 「でもキョンと古泉じゃ、ちょっと売れそうにないわね」 言いながらも、彼女はずっと、笑っていました。 「おつかれ」 「あなたこそ、お疲れさまでした。とても喜んでいましたね」 「そうか? まあ、それならよかった」 軽音楽部にギターを返して、 文芸部室に戻ろうとしている間、 僕はすっかり油断していて、 階段で、 腕を、 掴まれた。 「わっ!!」 「古泉」 「な、な、なんですか」 「……んな、怖がるな」 掴んだ手に渡されたのは小さな包み紙です。 丸い形に、桃色の和紙のようなラッピング、黄色いリボン。 「これは……」 「チョコもらっただろ、だから一応、礼に」 「…………」 「大したものじゃないから気に」 「すみません」 「古泉、」 「お返しします」 受け取れない。 僕は、あなたと、同じ気持ちにはなれない。 あなたにまたあの話をされたら、と怖くなったのが、その証拠です。 好きだと言えないから。 断らなくてはいけないから。 傷つけなくてはいけないから。 僕を理解して、好きになってくれた人を。 僕を大切に想ってくれている人を。 だから逃げていました。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 「……そうだよな」 「…………」 「気にしないでくれ。俺の方が、圧倒的に悪い」 「そんな…………」 「男に好きだなんて言われりゃ、気持ち悪いし、怖いよな」 「僕は…………」 「悪かった。二度と言わない」 包みは無造作に彼のポケットに詰め込まれ、 ぐしゃ、と、何か潰れる音がする。 痛い。 胸の奥が痛い。 きっとこの人は、この何倍も、痛いんだろう。 ごめんなさい。 ごめんなさいごめんなさい。 あの日から、一か月、二か月が過ぎて、 彼は、何事もなかったように接してきて、 けれど、確実に二人でいる時間は減って、 僕は、 彼が気になって仕方がない。 自然に合っていた目はもう合わない。 当たり前のように日が暮れるまでやっていたゲームの時間もない。 けれど、気をつけないと気付かないくらいにそっと、 僕をフォローしてくれる時がある。 涼宮ハルヒの機嫌を損なわないように。 僕の立場が悪くならないように。 あなたは、今でも僕を? もし、そうだったら? 「先帰るぞ」 二人きりの部室から彼が去ろうとした、 その腕を今度は僕が掴む。 「……どうした?」 「あ、あの……」 なんて言えばいいんだろう、 どの言葉が一番、的確なんだろう。 傷つくことを、 傷つけることを、 恐れている場合じゃない。 「……もう少し、一緒にいたいんですが」 彼の表情は変わらなかった。 けれど、 何も言わずに、椅子に座ってくれた。 神様、 僕に勇気をください。
あ、あれ、ホワイトデー・・・・?
何か続きそうな予感がします。