「く、あ、あう」 「おい……、気、失うなよ」 「だいじょぶ、ですっ……」 首にかかる指に、更に力がかかる。 霞む視界への恐怖は、もう、忘れてしまった。 僕に必要なのは、 彼の望むとおりに、意識を保つことだけ。 ただそれだけ。 怖くはない。 この人は僕を殺したいわけではないから。 ただ、こうすると、 僕の体が強張るから、 気持ちよさが増す、ようです。 それに、 普段は笑っているだけの僕が、 定まらない目と涎を垂らしたままの口を見せるのが、 いい、と。 これは僕に与えられたたくさんの任務のうちの一つ。 最近では、 閉鎖空間へ行くよりも多い。 彼の機嫌を損ねなければ、 涼宮ハルヒの精神状態も安定する。 だから、これは重要な任務でもあります。 機関からもサポートをしてもらっています。 声を上げても誰にも迷惑をかけないように、 マンションの隣の部屋は空室にして、 首を絞められた痕は見えないように、 森さんが化粧で隠してくれて、 彼が行為をする際に不快に感じないように、 裕さんが体を綺麗にしてくれる。 皆さんの協力の甲斐があって、 彼は僕だけを求めてくれます。 「あり、がとう、ございました」 「……おう」 「今日も、気持ちよかった、です」 「そうか」 「また、よろしくおねがいします」 彼のしたいようにしても、 礼を述べるのは勿論僕の役目。 彼に飽きられては大変です。 機嫌を損ねては困ります。 気に入られていないと。 僕だけを使っていただかないと。 彼の暴力的な嗜好を、 他の方に、 ましてや涼宮ハルヒに向けさせるわけにはいかない。 未来人にも、宇宙人にも。 そのほかのだれにも。 僕ならいいんです。 こうなるために、 僕はここに来たから。
「どうぞ、お乗りください」 「はい、……あ、」 「大丈夫ですか」 「すみません、お手を、煩わせて」 朝、学校の近くまでは新川さんが送ってくれる。 9組の授業についていくために、 その中でも成績は上位をキープするために、 彼の相手が終わったら勉強を数時間、します。 彼との事で頭に酸素がいきにくく、 前よりも理解力が落ちました。 復習にも予習にも時間がかかって、 ほとんど、眠れません。 だから朝、送ってもらう車の中でだけ、 少しだけ、眠ります。 車に乗るまで足がふらついて、 新川さんに、迷惑をかけてしまうことも、あります。 でも、ここ数日、 車の中でも眠れなくなってしまいました。 眠いのに。 頭が重たいのに。 意識が遠のきそうになると、学校に着く。 遅刻は出来ませんから、 新川さんに声をかけられたら、 車から降りてまっすぐ歩かなくてはいけません。 「……着きましたよ」 「もう……おり、ます」 「最近、眠れていないようですが」 「大丈夫です。今日も、ありがとうございました」 新川さんのせいでも、車のせいでもなく、 全ては僕の問題です。 この任務にやりがいを感じなくては、 僕にしか出来ない任務に、 誇りを持たないといけないのです。 なのに辛くなるなんて、 苦しいなんて、 僕が悪い。 「お待たせしました」 「……ああ」 彼が望むのであれば校内でもします。 必要なものは僕が持っているから、 場所と時間さえあれば何でも出来る。 場所なら、 大抵どこかの教室が空いています。 音楽室、 理科室、 視聴覚室、 体育館倉庫。 機関の息がかかった教師が何名かいますから、 鍵を貰いに行けばすぐに貰える。 誰かに見られる心配はありません。 でも、廊下を楽しげにあるく音と声は間近で聞こえる。 だから校内でされるのは、背徳感があります。 「早く準備しろ、時間がない」 「は、いっ……あと、少し……」 「もういいだろ。足開け」 「……はい。……して、ください」 涼宮ハルヒ達が帰った後なら、僕の家に来ればいい。 そこまで我慢が出来ないから呼び出される。 時間は限られています。 昼休みだったり、 彼女が掃除当番で部室に来る前だったり。 その時間の中で僕は自分自身で受け入れられるよう準備をして、 彼が強引に入ってくるのを、 なるべく泣かないように、 受け止める。 強引だから、 痛いと涙が勝手に出てきます。 泣きたくなくても。 こうなると彼の僕を抱き締める力が強くなって、 彼は、僕のこういう顔が好きなのかもしれない、 と思うのですが、 その後の授業に出られなくなってしまうんです。 ただでさえ授業についていくのに必死なのに、 出られないとなると、たいへんです。 「あ、うあっ、あっ」 「くっ……」 「気持ち、いい、ですっ……」 泣いても辛いと感じさせてはいけない。 痛いとか、苦しいとかではなく、 気持ちいいとか、もっとしてください、 そう言わなくてはいけない。 彼に満足してもらうために。 僕だけで満足してもらうために。 「お前さ……痛くされんのが好きなのか」 彼は、僕の体に負担をかけているのを、分かっています。 「はい……好きです」 「そうされる方が、気持ちいいってことか」 「はい」 快楽を感じなくても、射精に至るのは簡単です。 彼に、体の内部を刺激してもらえば。 当たるように体を動かせば、すぐです。 彼は僕の立場にはならないから、 僕が気持ちがよくてそうなっているのではないとは、知らない。 「そうか」 でも、それでいいんです。 彼は何も知らなくていい。 必要ありませんから。 痛くするの、好きですよね。 首を締めながら、 腕をつねりながら、 唇を噛みながらセックスをするのが、好きですよね。 僕、 それでいいです。 「今日の夕飯の用意は、出来ていますかな」 「……コンビニ、寄ってください」 「かしこまりました」 今日の報告が終わりました。 体を見てもらって、 栄養が足りていないようで、 点滴も打ってもらいました。 だから少しだけ、気分が良いです。 帰りは新川さんに送ってもらう。 食欲はあまりないけれど、 心配されると申し訳ないから、 形だけでも、買います。 「新川さん、こっちは……」 「スーパーへ行きましょう」 「どうしてですか?」 「何かお作りします」 「え、でも」 「点滴の世話になるのは、あまり感心しません」 食べられるか分からないのに…… 気を遣わせてしまいました。 新川さんは、僕よりもずっと立場が上の方。 でも職業柄敬語でないと落ち着かないそうで、 こんな年下の僕にまで優しくしてくれる。 僕は機関の中でも下っ端です。 僕に優しくする人は、数えるほどしかいません。 慣れていないから、 新川さんに優しくしてもらうと、 逃げ出したくなる。 僕にそんな価値はない。 「あ……」 「こんばんは。今日はお約束がありましたか」 荷物も新川さんが持ってくれて、 申し訳ないながらも、 新川さんの作ってくれた料理なら食べられるかもしれないと、 少しの期待を抱いて家に帰ると、 部屋では、彼が待っていました。 彼はこの部屋の鍵を持っています。 だからいつでも来れる。 約束をしていなくても、 彼が来れば、何よりも優先しなくてはいけません。 「では、こちらは冷蔵庫で保存しておいてください」 「……分かりました、ありがとうございました」 「お邪魔しました」 「……どうも」 玄関先で食材の入った袋を受け取り、 新川さんに別れを告げる。 彼と僕、二人だけの空間が出来上がる。 勿論、料理は出来ない。 「はあ、あ、う……!」 「古泉っ……古泉……」 「あ、あ、あ」 「きっつい、な」 学校でも、したのに。 学校でしたら、 たいてい、夜は、来ないのに、 なんで今日は。 しかも、最初から力が強い。 こんな強く締められたら、死んじゃいます。 苦しい。 本当は、 こんな行為、されたくない。 「古泉、しっかりしろ」 「あ、う、うぐ……」 意識を失いかけたら、 手のひらが頬を叩く。 強くはない。 腫れるほどじゃない。 でも、一緒に胸の奥も痛くなる。 いっそ意識を失った僕にしてくれれば、辛くない。 ぎりぎりでも意識を保つことを強要されるから、辛い。 この人は僕を何だと思っているんだろう? 僕、嬉しかったんです。 彼に特別だと思ってもらえるのが。 ここまでじゃなく、 キスや、 体を触るだけの行為を、 人目を盗んでしていたとき、 今まで生きてきた中でいちばんどきどきしました。 彼が余裕のない表情で、眉をしかめながら抱き締めてくる、 その瞬間が好きでした。 僕にとってもあなたは大切な人。 特別な人。 でも、最後までしてしまったら、 それしか求めてくれなくなった。 何でも受け入れるから、 彼は自分の思うがままに行動する。 喜んでいる演技は、まだ演技だと気付かれていない。 どんなに泣いても、 枕を噛んで声を殺しても、 気持ちいいからだとしか思ってもらえない。 彼がどう思っているか、 少し考えれば分かること。 機関の上司からも何度も言われてる。 彼の口からはっきり聞くまで信じたくなくても、 現実は変わらない。 「んん、ん、んーーっ……!!」 「あー……今日、2回目なのに、すげー量」 「う、う、ご、ごめんなさい、手を……」 「いや」 後ろから揺さぶられたので、 枕を噛んで、ちゃんと腰を動かして、出しました。 彼の手を汚してしまったけど、 彼はそれを見て、満足そうです。 「気持ちよかったか」 「……はい、とても」 「悪かったな。新川さん、来てたのに」 「いえ……特に用があったわけでは、ありませんから」 「……明日も来る」 「……はい。お待ちしています」 どう思っているかなんて、怖くて聞けない。 めちゃくちゃにされるよりも怖い。 だから笑顔で別れるしかない。 また明日、と、笑って。 彼が家を去ると、 後片付けより何より先に、 強烈な吐き気に襲われます。 何も吐くものがなくても。 しばらくはそれが続いて、ようやく落ち着いたら、 ベッドのシーツを取り換えて洗濯機を回して、 教科書とノートを開いて机に向かう。 気持ち悪くて夕食を取る気にはなれない。 僕の体。 頭の中。 辛くても何も言えない、誰にも助けてもらえない、 全部、 気持ちが悪い。 「今日はこのまま、どこかへ行ってしまいましょうか」 車のシートに重い体を預けて、 外の光さえ眩しくて見ていられずに目を閉じると、 運転席から声がかかりました。 頭の中は授業の英文の和訳と数学の公式しか入ってない。 それ以上のことは、考えられない。 だから頷くだけにしました。 僕、皆さんの言うこと、聞きます。 それが僕の役目だから。 車の中にいいにおいが満ちて、 気付いた時には、 久しぶりに眠りに落ちていた。 目を開けると、 いつも見える北高の門が見えない。 ここは海? 「目が覚めましたか」 車の外に飛び出すと、 新川さんが車にもたれ立っていて、 穏やかな笑顔を向けてくる。 ここはどこですか? どうして僕は、学校ではなく、海に? もしかして、 僕は、いらなくなってしまったんですか? 「違いますよ」 「でも、こんな、所に」 「あなたを助けたくなったのです」 「……え?」 「見守るだけよりも、裏切ることを、選びました」 分からない、です。 裏切る? 機関を? 機関を裏切って、僕を、助ける? 「ええ」 「そんな……どうして僕なんか……」 「似ているからですよ」 「似てる……?」 「昔話です。戯言ですので、お気になさらず」 もっと車を走らせたところに、私の田舎があります。 都会に比べれば不便ですが、 とても穏やかで、いいところですよ。 体力が戻るまででも構いません。 気に入ったなら、 いつまででも。 車があるから足には困りません。 貯金も、あなたが一生困らない程度にはあります。 これ以上苦しまなくていいんですよ。 「分からない、分かりません、僕、どうしたらいいのか」 「今は、それでいいんです。私が強引に連れてきたことにしなさい」 優しくしてもらう価値なんてない。 理由もない。 権利もない。 僕が何を言っても、 新川さんは首を横に振って、 手袋を取った手で、 頭を撫でてくれた。 暖かい。 僕…… ずっと、優しくしてほしかった。 彼にも、 機関の、人たちにも。 でも、言えるわけがない。 言いたくなる口をつぐんで、我慢して、 だから、 僕の心を読んだように優しくしてくれるあなたが、怖かった。 でも本当はこうしてほしかったんです。 「さあ、どうぞ」 開けてくれたドアの向こうには、 僕が望んでる世界が待ってる。 そう信じて、 車に乗り込んだ。