「好きになっちゃったんです」 「そう……なっちゃったの」 「なっちゃった、んですな」 「はい」 古泉は神妙な面持ちで言ってきた。 顔を真っ赤にして。 3年間ずっと面倒を見てきたけれど、 古泉のこんな顔は見たことがない。 うっかりわたしが着替えてる部屋に入ってきても、 慌てて出ていくだけでこうはならなかった。 何かおかしいと思っていたけど、そういうことなの。 「それで、どうしたいと思っているのですか」 私と同じく、古泉の世話係を担当している新川が切り出す。 自分の孫……は言いすぎかしら。 でも息子じゃ年が離れすぎているわ。 新川が結婚してるかどうかも知らないけど、 じゃあ、若いころはヤンキーやってて、 早くに結婚して今は孫バカって設定にしておきましょう、 まるでその孫相手みたいに溺愛してる。 わたしも、古泉をかわいいと思うのよ? でも飴ばっかり与えるわけにはいかない。 だから新川が飴、わたしは鞭。 「好きだと、お伝えしたいです」 「なんと」 「まあ」 あなたの気持ちを? 待って、早まっちゃダメ。 そりゃ古泉はかわいいわよ。 これはわたしたちの意見だけじゃなくて、 一般的に見てもレベルは高いと思うの。 くわえて性格もいい子だし、 あなたを振るような人は…… 女の子なら滅多にいないでしょう。 でも、 あなたが好きになっちゃったのは、 男の子よね? 「驚かれるかもしれませんが、彼も…… 僕を気にかけてくださっているようなんです」 古泉。それは盲目というものだわ。 好きな相手の一挙一動が大げさに見えるものよ。 少し優しくしてくれただけで、 目が合っただけで、 相手も好きだなんて思ってはいけません。 新川がおろおろと動き始めた。 わたしに助けを求める目を向けてる。 もう。しっかりして。 「冷静に考えて、古泉。どういうときに、そう思ったのかしら?」 「皆さんが帰っても、下校時間ぎりぎりまでゲームを続けたり、 僕から近づくと顔が近いと仰るのに、彼からは至近距離まで近づいてきますし、 この前は一緒にお昼ごはんを食べたんです。彼が、誘ってくれて」 「ほうほう」 浮かれながら話してくる古泉は、 本当に大好きになっちゃったみたいで、 楽しそうで、 彼が想ってくれている可能性を疑ってもいない。 悪くは思ってないと思うわ。 でも、それだけじゃ好きとまでは言えない。 男の子同士でしょ、 しかも、相手はあの子でしょう。 確かに涼宮ハルヒにも他の女子2名にも手を出していないようだし、 中学時代も親しい女友達がいたのにそういう関係にならなったけれど、 それだけでは、男を好きになると判断できない。 「皆さんと一緒だと冷たいんですが、二人きりだと、優しいんです」 「それは良いことですな」 「はいっ。だから僕、明日、言おうと思って」 「好きだと?」 「はい。お付き合いしてもいいですよね、怒られませんよね」 上司がどう思うかはちょっと想定外すぎて分からないけど、 うーん、反対、しないといいわね……。 鍵である彼が、 神と呼ばれる彼女や、他の人と関係を持つよりはこちら側的にはよいけれど……。 そもそもそんな心配はいらないのよ。 付き合うなんて、ないもの。 古泉がショックを受けて寝込んでる姿が想像できるわ。 そうしたらわたしもたまには優しくしてあげてもいい。 新川と一緒に慰めよう。 どうせ、こんなに目を輝かせてる古泉を止めるのは無理。 わたしたちに出来るのはアフターフォローよ。 ね、新川。 「その通りです」 「おいしい手料理をたっぷりごちそうしてあげてちょうだい」 「では、それに合うワインをお選びいただけますか」 「酔わせて泣かせて潰せばすっきりするかしらね」 「はは、恐ろしい」 「あなたが言ったんでしょうが」 「そうでしたな」 古泉を送り届けた後のタクシー車内は、 いつもわたしたちの作戦会議場所。 彼が中学生の頃も、ずっとそうだった。 「僕、何をすればいいですか。僕に出来ること、教えてください」 古泉は中学生にしては大人びた子だった。 わたしや新川が機関の任務について理解した後に連れて来られて、 最初は自分の能力に戸惑っていたし、 機関が接触するまではとても悩んでいたと聞いた。 それでも、説明を受けると納得して、 自分に出来ることは何かと、 出来るだけのことをしたいと言ってくれた。 わたしも新川も、古泉が心配だった。 中学生という多感な時期に、 朝も夜も関係なく閉鎖空間へ行かされて、 大人だらけの会議に参加させられる。 それでも弱音は吐かなかった。 機関の任務と並行して受験勉強にも精を出し、 評判のいい英語の先生がいるからと、 目指していた難関の高校に見事合格して、 新川のフルコースでお祝いをしたのに、 その一ヶ月後に、 彼は北高に行くことを命じられた。 「大丈夫です。重要な任務なんですよね。 それに、彼女と直接関われるなんて、光栄ですよ」 「古泉……」 古泉はまた、子供らしくない発言をする。 笑って、 大丈夫ですと。 新川ったらいい年して泣きだして、 逆に古泉に慰められてたわ。 「あの時は本当に、不憫だと思ったのですよ」 「わたしもショックだったけれどね」 「それが、まさかこんな展開になるとは」 「明日の夜の予定は空けておかないと……」 「ええ」 北高に入ったことを、今では歓迎できる。 古泉はとても楽しそう。 特に彼の話をする時は、 いつもよりもきらきらしてた。 だけどまさか。 それが、恋だったなんて。 明日どれだけ落ち込んでしまうのかしら…… 気が重いわ。 「今夜はもう少々、車を走らせましょうか」 「そうしてもらえると嬉しいわ」 「私も、心が穏やかになりそうもありません」 「そうね」 翌日、 古泉から連絡はなかった。 不安になって何度も電話をかけても繋がらず、 家にも足を運んだけれど、 そこに姿はなかった。 「あの時無理やりにでも止めていれば……!」 新川と一緒に捜索し続けて、 見つからないまま朝になってしまって、 悲しみに暮れていた。 「森さん、新川さん!」 古泉の部屋の前で呆然としていたら、 早朝に、ひょいと古泉が帰ってきた。 すぐに駆け寄る。 怪我はしていない。 首をつったような痕もない。 だけど、目は真っ赤になって、 少しまぶたも晴れてる。 でも……無事でよかった。 どんなに心配したと思っているの。 連絡もせずに、一人で現実逃避なんて。 悲しかったのは分かるわ。 でもそんなときこそわたしたちに頼ってほしい。 「すみません。でも、一人じゃないですよ」 「どういうこと?」 「ずっと、彼と一緒にいたんです」 「え!?」 「何ですと?」 放課後、涼宮さんたちが帰ってから、 彼といつものようにゲームをしていたら、 下校時間がやってきました。 僕はその前からずっとどきどきしていて、 でも、もう我慢できないから、 彼が「帰るか」と言ったときに、 頷いて立ち上がって、彼を見つめました。 「どうした?」 「僕、あなたが好きです」 「!!」 「僕とお付き合いしてください」 頭を下げてお願いをします。 言ったら恥ずかしくなってきて、顔が熱いです。 彼は今、どんな顔で僕を見ているんでしょう? あなたと過ごしている高校生活、 とても、楽しいです。 ここに来られて良かった。 涼宮さんと出会えただけでも、そう思いますよ。 でも、あなたと出会えたこと、何よりの宝物です。 「……お前から言われるとはな」 「えっ」 「俺も、帰り道で言おうと思ってたのに」 「そうなんですか」 「先越された。……古泉、こっちに来い」 彼の言う通り傍へ行くと、 ぎゅって力強く抱き締められました。 好きだ、って、言葉と一緒に。 「それから彼の家にお邪魔して、泊まらせていただくことになって。 携帯電話はうっかり充電を忘れていたんです」 ……ちょっと待って。 彼がすんなり古泉の告白を受け入れるなんて信じられないわ。 「どうしてですか? 僕はそう思ってましたよ」 「それで、一晩中何をしていたの?」 「そ、それは……」 「私たちにも言えないことですか」 「うう……」 顔がみるみるうちに赤くなっていく。 新川。 嫌な予感がするのだけど。 「私もです」 持っていたリボンで古泉を縛りあげ、 吐かせました。 その後古泉は彼の家で、彼の部屋で、 口を塞がれたまま、されてしまったそうです。 家族がいるから声が出せないのは分かります。 でも、分かるのはそこだけです。 付き合って初日で、 しかも同性同士なのに、 わざわざ自宅で無理やり、行為に至る必要はありますか? 好きな相手ならなおさら、大切にするはずでしょう。 痛みを堪えて泣いている子に、 そんな、ひどいこと。 「制裁を加えたいので認めてください」 「まあまあ……森君、落ち着きなさい」 「落ち着いてなんていられませんっ!!」 機関へすぐ報告をした。 のんびりしている上の連中は、事の重大さを分かってない。 机をばしばし叩いて抗議をしても落ち着け、と的外れの発言をする。 ああ、怒りで体中の血管が切れそう。 「すみませんが、私も同意見です。古泉が今までどれほどの時間、 精力を任務に費やしてきたかお分かりでしょう。 今までの功績に対し、いくら想いを寄せている相手とはいえ、 このような仕打ちを受けるのはあまりにもむごいと思われませんか」 新川の冷静なところにも若干苛々するのだけど、 言っていることは正しいわ。 そう。 古泉は全てを賭けて今まで彼女のために頑張ってきた。 彼女と同じ学校に通って、同じクラブで活動して、 楽しそうにしている古泉を見て、わたしはとても嬉しかった。 これで報われるんだと。 彼女に振り回されることも多い、でも、 古泉が楽しんでいるなら何の問題もない。 ないはずだったの。 初めての友人になるべき人だったのに。 それなりに信じていたのに。 なのに、 彼は古泉をっ…… 「森さん、新川さん、彼は、悪い人じゃありませんよ」 「古泉は黙ってて!」 「で、でも……誤解を、しています」 「私たちは至極まっとうな意見を述べているんです」 「新川さん、僕は、そうは思えません」 「本人もこう言っているし、新川さん、森君、君たちの今回の申請は、 却下させてもらうよ。いいことじゃないか。青春、はっはっは」 机を思いきり蹴飛ばしたらヒビが入って崩壊して、 優雅に肘をついて拍手をしていた上司が椅子から落ちたわ。 いい気味よ。 何も分かってない。 古泉本人だって分かってない。 だからわたしたちが守らなきゃいけないのに。 「森さん、新川さん……」 「……何」 「……何でしょう」 「怒らないでください、二人には、祝福してもらえると、思ってたんです……」 「甘すぎるわ。もう二度と、彼と二人きりになるのはやめなさい」 「ええっ! む、無理です」 「ならば、私達は古泉の世話係を辞退しなければならないでしょうな」 「そんな……! 嫌です、そんなの」 嫌なら別れなさい。 そうしないとあなたは利用されるだけなの。 彼はあなたの気持ちと体を弄ぶつもりよ。 分からない? 最初から泣かされて、 辛かったでしょう? 「それは、初めてだからうまく出来ないのも仕方ないって……」 「初めてで何回したの?」 「三回です」 「あなたが泣いているのに?」 「は、はい……でも、嬉しかったです」 「バカっ!!」 涙が出そうだわ。 古泉も上司も、頭に花でも咲いているんじゃない? 「も、森さんこそ、どうして僕の話を信じてくれないんですか」 「信じているわ、付き合った初日に3回やられて早朝に追い出されたんでしょ」 「そうじゃ、なくて……彼は僕を想ってくれてるんです。大切にするって、約束してくれました」 「誓約書はどこ? 彼の押印がされているの?」 「ううう……」 口約束は約束のうちに入らない。 何の効力ももたない。 「言っておきますが、私達の壁は厚いですよ」 「そう簡単に突破できると思わないことね」 「お二人が心配してくださっているのはありがたいのですが……」 「そう。あなたが心配なのよ」 「まずは、挨拶に来てもらいましょうか」 「それはいいわね。わたしと新川は、古泉の両親のようなものだし」 「え!!」 「文句があるなら聞くわ」 「い、いえ、まさか。ありません」 いい、新川。 全力で倒すのよ。 わたしたちが古泉をどんなに想っているか、分からせるの。 彼に手を上げるのは駄目、機関から干されてしまうから。 そうしたら古泉の面倒を見られなくなる。 それは一番困るもの。 わたしたちの古泉を想う気持ちで、 彼を圧倒しなくては。 「では明日、家に連れてきますね。お手柔らかにお願いします」 「新川。分かってるわね」 「承知」 「ふ、不穏な空気ですね」 こうしてわたしたちの戦いの火ぶたは、切って落とされた。