終わらない夏、case1







 一万何千何百回の夏休みだか知らないが、こんな夏休みなら繰り返してもいいと思えた、
 この腑抜けた考えが長門に詰まらん思いをさせていると知りながらも、
 その夏が俺はどうしようもなく居心地がよかったのだ。














『おはようございます、涼宮さんから電話がありましたか? ええ、僕は起きていましたよ。
 はい。ではまた駅でお会いしましょう』







 夏。うだるような暑さが続く。
 家族で田舎に行き、散々子どもの世話をして疲れ果てて帰ってきて、
 残りの夏休みは家でだらだらしようと思っていたのに、
 なんとなく、
 ハルヒから呼び出される気がした。



『今日アンタ暇でしょ? 二時ジャスト駅前集合だから。
 持ち物は水着一式と十分なお金、以上!』




 予想通りかかってきた呼び出し電話。
 その直後に古泉へ電話をするとあいつは休みなのに早起きをしていたそうで、
 爽やかな声が電話口から聞こえてきた。



 まあ、いいか。
 外に出るのは面倒くさくても、あいつに会うためだと思えば、行ってもいい。











「こんにちは、少し会っていないだけなのに久しぶりの気がしますね」
「そうだな」
「今日は暑くなりましたからプールはきっと気持ちいいですよ」


 駅前では俺以外のメンバー全員が既に待っていた。真っ先に古泉に話しかける。
 くそ暑いのに長袖のパーカーなぞを着ていて暑苦しい。脱がされたいのか、ん?


「親父くさいことを言わないでください」
「悪かったな、親父くさくてよ」
「遅いわキョン! 今日は皆で市民プールへ行くのよ。あんたと古泉くんの自転車に乗ってね」
「おいおい、何人乗るつもりだ、このチャリに」
「もちろんキョンはあたしと有希を乗せるのよ。ぶっ飛ばしなさい!」







 夏休みだろうとハルヒの横暴は留まることを知らない。
 汗だくの俺たちをプール近くの駐輪場へ置いてとっとと着替えに行っちまった。






「大丈夫ですか? 長門さんの重みはあまり感じなかったかと思いますが、大変だったでしょう」
「お前の言うとおりだがハルヒが暴れるわ叫ぶわで疲れてもう帰りたい気分だ」
「ははっ。まあまあ、プールに入れば気持ちよくなりますよ。
 今朝涼宮さんから水着を持ってくるよう言われて、あなたとプールで遊べるのかと思うと
 楽しみでなりませんでした」
「古泉……」
「行きましょう」





 にこにこと笑って柔らかい髪を揺らしながら先を行く。
 後ろから見る耳が少しだけ赤い。
 照れている顔を見られたくなくて早足なのか。



 俺も同じことを考えていた、
 お前と一緒にいられるならどこへ行くのも悪くないと。
















 着替えの際はじろじろ見ないようにするのに苦労した。
 夏のくせに真っ白い肌が眩しい。
 俺は田舎に行ったせいで日焼けして、余計古泉との差が開いてる。



 合宿とは違う水着は膝よりも短い丈で、目のやり場に困る。
 男の水着姿にこんな思いをするなどまさかだと思うだろ、
 古泉だけだぞ、
 心が掻き立てられるのは。






「……似合うな、それも」
「そうですか? ありがとうございます」





 たまには褒めてみる。
 古泉は素直に受け止め、微笑む。




 かわいいな。
 お前、またかわいくなっただろ?
 俺に会わないうちに。
 毎日電話をして会いたい気分が溜まっていたせいもあるが、
 古泉を見ているとむらむらと何か体の下の方がだな……



「そろそろ合流しないと」
「……だよな」
「ええ。涼宮さんの声が遠くから聞こえてきます」





 ナニをしようとしたわけでもなく、
 男子更衣室には他に誰もいなかったからただ頬に触れようとしただけなのだが交わされた。







 いつになったら触らせてくれるんだ?
 キスも合宿での一回きり。
 合宿からは数えるほどしか会っていないとしても、
 この夏休みのうちにもう一回くらいはさせてくれよ。



 と、頼んでみればいいんだが、恥ずかしくて言えない。断られたらしゃれにならん。










 ――孤島の合宿で酔いに任せてキスをして、
 じたばたともがく古泉をベッドに押さえつけて抱き締めた。
 酔っていた、それは事実だ、しかし。
 古泉を好きだと思っていたのも事実なのにそっちを伝えそびれた。言う前に寝た。
 そして起きてしばらくしてから自分のした行為を思い出した。
 古泉に謝るかこのまま押し通すか、二択のうち後者を選んだのである。



 古泉に毎日電話をする。
 古泉は文句も言わずに電話を取る。
 ちらりと好意を見せれば、それに応える。
 そして古泉からも好意を感じるようなことを言われる。




 出した結論として、古泉は俺が好きなのだ。
 俺も古泉が好きだから両思いだが、あいつは自分からは言ってこないだろう。
 今までの短い付き合いの中でもそのくらいは分かる。
 だから俺に言わせようとしているんだ。




 言っていいんですよ、僕もあなたが好きだから、だから、あなたから言ってください。




「……ふう……」





 古泉からそう言われて顔を近づけられる夢を何度見ただろう。
 そのたびに、夜抜いたはずなのに布団が濡れる。
 最悪だ。
 高校生にもなって夢精だぞ。
 谷口にアホほど笑われる失態だ。














「涼宮さんたちはあちらで楽しんでいますね」
「俺たちは俺たちで楽しむとするか」
「潜水勝負なんていかがですか?」
「ほう。いいじゃないか。言っておくが自信あるぞ?」
「僕もあります」






 とりあえず火照った頭と体を冷やすためにプールへ飛び込んだ。
 ハルヒはここで知り合った小学生連中と楽しそうにしてるから、
 こっちは古泉と楽しくやらせてもらうぜ。


 中学の頃の潜水選手権でクラス三位だった俺だ。
 古泉をボードゲーム以外でも負かしてやろうじゃないか。
 ついでに罰ゲームを設定しておこうか。



「では、負けたほうがあとで肩をマッサージなんていかがでしょうか」




 おいおいおいおい。
 お前に触られたら別のマッサージを希望してしまうぞ俺は。
 それでいいなら、お前がそう言うなら、いいが。



「それでは始めましょう、せーの」
「なっ!?」






 潜る瞬間。



 古泉が俺の手を取った。




 二人で同時にプールの底にしゃがみこんだはいいが、
 繋がれた手から電流でも流れているような感覚に口から鼻から空気が漏れていく。






 向かいで古泉は俺を見て笑っていて、握るように指をふにふにと動かしてくる。







 こいつ、絶対確信犯だ。
 俺の心臓を破裂させるために北高に来たに違いない。














「ぶはっ……!」
「ふふっ、僕の勝ち、ですね」
「古泉、お前、汚いぞっ……」
「そうでしょうか? 嫌でした?」
「そ、それは、……嫌じゃ、ないが」
「では僕の勝ちで文句はありませんよね。あなたに勝つなんて滅多に出来ませんから、
 今日はいい日になりそうだ」




 お前には勝てないよ、別の意味で。












 ここで冷静に考えよう。
 俺が負けた、つまり、俺が罰ゲームを受ける。


「お願いします」


 目の前に座る古泉のうなじが俺を襲う。
 白い首、白い肩。


 ここに触れというのか。
 罰ゲームの約束をした。
 触りたいとも思った。
 が、


「や、や、やるぞ」
「はい。力は弱めにしてくださいね」
「ああ、ああ、わかった」




 こうして差し出されるとどこからどうしたらいいのか。
 公衆の面前だ、本当に触りたいところを触るわけにはいかないだろう。
 マッサージ師になるんだ、今はただそれだけを考えろ。煩悩を捨てるんだ。







「んっ……あっ、そこ、気持ちがいいです」
「……」



「ふ、う……」
「…………」



「うあっ、ちょっと、そこは、痛いです……」
「……………………」

















 二分後。

 俺はトイレに駆け込む羽目になった。







 ……無理だった。
















「はい、どうぞ、キョンくん。お茶です」
「ありがとうございます、朝比奈さん。いただきます」



 熱い茶でも何でも来い。
 どんなに冷やそうとしても俺の脳内は万年真夏日だ。













 夏だ。暑い夏。
 終わらない、長い夏。













「浴衣を買いに行くわよ。盆踊りに行くのに浴衣を着ないなんてありえないわよね」






 翌日には盆踊りへ遊びに行くことになった。
 古泉が調べた会場の近くに河原があり、花火遊びも可能だそうだ。




 まずは女性陣の浴衣を選ぶためにデパートへ出かける。
 三人が試着を繰り返している間、俺と古泉は多少の居心地の悪さを感じながら
 売り場を見て回る。




 ふと、古泉が大きなピンク色のリボンを手に取った。

 そしてあろうことか自分の頭に持っていき、


「似合いますか?」


 などと、聞いてきたのだ。



 似合わないはずがない。
 古泉め、自分がかわいいと認識しやがって!




「この野郎っ」
「あははっ」


 殴りかかるふりをすると無邪気に笑う。

 参ったよ、お前には。
 もういい加減言えってんだろ?
 分かった。分かったよ。
 今夜言うから、解散しても戻ってきてくれ。












「戻ってきました」
「おう。とりあえず座れ」
「はい」




 花火をしていた河原は、もう花火を許される時間が終わったために街灯もなく真っ暗だ。
 これくらいがちょうどいい。
 俺がどんな顔をしているか、その情けない表情を古泉に見られずに済む。




「単刀直入に言うぞ」
「……はい」
「……………………」





 大きく息を吸う。
 ちらりと左に座る古泉を見やると、まっすぐな視線をこちらに向けていた。

 口から声が出るか心臓が出るかどちらが早いだろうか。
 なるべく声を出そう。




「お前が好きだ。古泉が、好きだ」
「……僕も、あなたが好きです」
「古泉」
「すみません。あなたが言ってくださるのを待っていました。
 あなたに愛想を尽かされたらどうしようと、不安になりながらも」
「不安? 俺の気持ちが簡単に変わると思ったか」




 ふるふると首を振る。そして眉を下げて、力なく笑う。









「疑っているわけではありません。
 あなたが僕に示してくれる気持ちはひしひしと感じていました。
 でも……説明できない不安があるんですよ。
 あなたは感じませんか? ここ数日言いようのない感覚に捉われます。
 たとえば盆踊り、初めて来たはずなのになぜかつい最近来たような気がする、
 この後涼宮さんが何を言うか想像が出来て、実際にその通りになる……」




 その現象は俺にも心当たりがあった。
 見たことのある風景、聞いたことのある言葉。
 その場は古泉と気持ちが通じ合った喜びを重視したく、
 気のせいだと互いに納得してから硬く握手をして今後は正式に付き合う話をまとめて、
 家に帰った。











 しかし数日後、俺たちは長門によって知らされるのだ。
 この夏休みが何度も何度も繰り返していたことを。
 そしてその累計は、既に一万五千回を超えているということを。












「長門、疲れているところすまん。教えてくれ」
「何」
「俺と古泉が、その……どういう関係か、お前は分かっているんだろ」
「知っている」




 古泉と朝比奈さんを家に帰し、俺は長門を追いかけて捕まえた。
 どうしても確かめたいことがある。




「俺たちがこうならなかった夏はあったのか」
「広義では存在しない」
「そう、なのか」
「正確には細部は異なる。あなたが関係を始めた場所は河原が七十パーセント」
「なるほどな」



 どの道俺と古泉はこうなる運命だった。そう考えていいんだな。安心したぜ。



「ただ」
「ただ?」
「あなたたちの心理的密接度は回を増すごとに濃度が上っている」
「どういう意味だ」
「あなたに分かるように言い直す。……古泉一樹が、より、あなたに心を開くようになった」


















 この夏休みから脱出しなければ、朝比奈さんは未来へ戻ることが出来なくなる。
 それはいけないことか?
 朝比奈さんが未来に帰らずにずっと俺たちと一緒にいる、
 それはきっと、ハルヒも望んでいる。



「禁則事項が、禁則事項でっ……」




 泣いている朝比奈さんを思い返すと心が痛むが、
 繰り返しに気付かなければ楽しい夏休みを過ごせていた。
 もう少し経てば記憶はリセットされ、また最初から始められるじゃないか。




「何とかしてここから抜け出す方法を考えましょう」





 そう言いながら、古泉、お前も楽しそうだったよな。
 俺が感じた既視感の中に、
 古泉が自分から手を繋いできたり、
 リボンをつけてみせるような動きはなかった。
 繰り返すことによって古泉が俺を好きになる、まるで今までの想いを積み重ねたように。





 抜け出さなくてはならない理由は何だ。
 長門がつまらない思いをしているから、それもある。
 未来へ向かって進むべきだ、そうさ、それはその通りだ。
 いつまでも休んでばかりではいられない。






 だが、







「涼宮さんは歌も上手ですね」
「お前の声も聞かせろよ」
「僕は、そんな。……あなたと二人きりでしたら構いませんが」






 カラオケに行けば隣に座り見咎められない程度の距離を保ち、たまに手に触れてくる。
 俺も指で手の甲を撫でるようにすると、くすぐったそうに笑って、その指に絡ませてくる。
 ハルヒが朝比奈さんとのデュエットに熱中している間だけ。
 終われば拍手をするために手を離して、また歌い始めたら、手を伸ばす。




 古泉とのこの距離感がたまらなく心地いい。
 もう少しで全部手に入れられそうな、だがまだ、立ち止まらなきゃいけないような、
 微妙な駆け引きが。





 ハルヒたちが帰ると俺たちは別々の方向へ行ったふりをして元の場所へ戻り、
 今日のようにカラオケで解散したなら、もう一度二人きりでやり直す。
 今まではボーリングとか野鳥観察とか、他人の目があったが……
 カラオケなら誰にも見られない。





「今日こそ、いいだろ?」
「仕方ありませんね。二人きり、しかも密室です」






 口付けると、古泉はまるで待っていたかのように背中に腕を伸ばして、自らも求めてきた。


























 夏だった。
 暑い夏だった。
 終わらせなくてはいけない、







 なのに、終わりにしたくない、夏。















 そしてその夏も俺は、
 ハルヒを立ち止まらせることが出来なかった。






thank you !

繰り返すたびにえろくなる古とかどうですか!
とてもじゃないですが抜け出せません!
助けてながとさん!

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