「古泉」







 
 囁くような声。
 辺りは暗い。
 夏は日照時間が長くて夕方まで明るいけれど、
 夜になるとしんと静まり返ったように暗くなる。
 8月後半は夏も本場で、夜でも蒸し暑い。
 





 けれど今、額を伝う汗は、気温のせいだけではない。







責任取ってください





 

 
「汗、かいてるな」
「暑かった、ですから」
「ん」






 僕の体と同じくらいに熱い手が、腰に伸びてくる。
 彼女達が浴衣を着るというから僕もそれにならって甚平を着てきたのだけれど、
 洋服よりも体を締め付けない作りになっているから、体に触ろうと思えば、簡単だ。



 腰から入ってきた手は、辺りを撫でた後に上へ移動する。
 僕が反応を示す場所を探すように。




「っ……」





 探さなくても、
 彼に触られたらどこでも、
 体が震えてしまう。
 彼は喉を鳴らして僕の顔を見て少しだけ笑うと、
 また、指の動きを再開させた。



 どうしてこんなことになったんだろう。
 僕たちは、皆で盆踊りを見て、
 出店を楽しんで、
 河原で花火をして、
 明日の予定を確認して解散したはずだった。

 彼と一緒に自転車置き場へ向かい、その場で彼とも別れるつもりが、

「少し付き合っていけ」

 僕の自転車の鍵を奪うと、すたすたと歩き始めた。








 何だろうと思ってついていくと彼は河原を過ぎて陸橋の下で足を止め、
 周りに誰もいないのを確認してから僕を壁に押し付けて、




「大声出すなよ」









 彼女達と一緒にいたときの彼とは全く違う。
 笑って誤魔化して、おかしな雰囲気を取っ払えばよかった。
 そうすれば、こんな風に体を触られるようなことはなかった。
 こうなるきっかけは何だったんだろう。
 今は、考えられない。
 触られるたびに考えようとする頭がリセットされてわけがわからなくなるから。










「……寒くはないよな」
「え、ええ」







 前を結んでいた紐が解かれ、体がさらけ出される。


 寒くは、ありません。
 熱いくらいです。
 かと言って脱がされたいかと聞かれても頷けはしませんが……。



 指だけで触れていたのが、
 離れたかと思うと今度は、
 く、ちびるで、触れてきました。
 腰から上にかけて、舐めるのではなくまるで口付けをするように。

 感覚と、彼が求めていることが伝わってきて、
 両手で押さえた口の中で、声が上がる。








 あなたが、僕を?
 どう考えてもあなたの好きなタイプは、
 朝比奈みくるのようなかわいらしい女性でしょう。



 でも、彼女たちにうかつに手は出せない。
 だからって僕を?
 男、なのに。







「あ……!」
「…………」
「そ、そこ、は」
「触られただけで、興奮したのか」






 唇の動きに気をとられていたら、いつの間にか指が太ももを這っていた。
 そして、足の付け根の方まで動いて、僕のに、まで。
 特異な状況と熱い指にどきどきしすぎたせいで、
 僕の体は不本意ながらも反応してしまいました。
 恥ずかしくて彼の表情は窺えない。
 からかっていたのだとしたら、末代までの恥です。
 同じ男性に触られてこうなるなんて。




「……こっちからだと触りにくいな」
「え、……あ、うあっ」
「あー……すげー」





 彼の手が、腰の方から入り、下に向かって伸びる。
 直接肌に触れるように。



 突然の行為に驚いて変な声が出てしまい、慌てて甚平の袖を噛みます。
 彼が漏らした感想のせいで涙が出そうなほど恥ずかしいのですが、
 泣いたりしたらもっと恥ずかしいから、ぐっと堪えるしかありません。









「ん、んん、んっ」
「触られるの、気持ちいいか?」
「んぐ……っ」
「力抜いてろよ」





 立ったままでは入れられる力も入りません。
 袖を噛んだまま彼の腕に手をかけ倒れてしまいそうな体を支えながら、

 逃げればよかったのに、
 嫌だといえばいいのに、
 そうはせずにされるがままになってしまいました。
 




 橋の上を誰かが通る。
 祭りの後の、楽しそうな声。
 子どもが眠ってしまって背負っている夫婦だったり、
 僕たちよりも少し年上のように聞こえるカップルだったり、
 その人たちが近い、
 でも見えない場所で、
 こんなことをしてる。




 十分刺激的だった。



 頭では良くないと分かっているから、
 必死に我慢をしようとしたけど、 







 彼が、








「んう……っ!?」









 いきなり、キスをしてきたから。








 びっくりして、




 下、履いたままなのに、出して、
 汚れてしまったと悔やむ間も与えられずに、
 開いた口に舌をねじ込まれて、
 何をされているのか、分からなくなる。







 焼けつくような痛みと、
 眩暈がするような気持ちのよさが、
 交互に神経を刺激する。
 









 彼の方を向きながら抱き合うようにしていた行為は
 いつからか手を壁に押し付けて後ろから触られるようになって、
 着ていた服は下着ごと足元まで落とされて、
 暗い地面に白い液体がところどころに零れてる。







「あ、あうっ、あ、ああ」 






 後ろを向かされてしばらくすると、強い痛みが体中を襲った。
 袖を噛んでもいられないくらい痛くて、
 声を上げたら彼が口を手で塞いでくる。


 聞かれたらまずいから、
 ごめんな、


 と、謝って。










 空いている片方の腕で腰を抱きかかえられて、
 もう、痛くても逃げ場所はない。




 何をされているかは見ていなくても、想像がつく。
 彼が僕にするような行為だとは、想像していなかったけれど。








 どうして僕に?

 どうして今日、ここで?




 おなか、のなか、熱い、です。



 
 
 
 
 
 
 

























「………………」









 落ち込むべきは僕なのに、
 呼吸を整えて涙も拭いて振り返ると、
 彼は首をうなだれてその場にしゃがみこんでいました。



 しかたなく汚れた甚平を着直して、
 彼の肩を叩いてみましたが、何の反応もありません。











 後悔をしているんでしょう。
 何がきっかけか分かりませんが、
 僕なんかに欲情して、最後まで、してしまったことを。

 こんな姿を見せられたら、文句を言う気も起きない。
 
 ただただ、悲しいです。
 







 
「遅い時間ですから、帰り道、気をつけてください」
 





 明日も朝が早い。
 先に帰ろうと思って、搾り出した声はかすれているうえに震えてた。



 自分がそんな声を出すとは思いもよらず、
 さらには、
 言い終わった後に唇が震えて涙まで出てきたから、困りました。


 彼が顔を上げる前に立ち上がりたかったのに、
 体が痛くて、上手に動けなくて、その場に崩れてしまう。
 そんなときに限って車のライトが僕を照らすから、
 彼に見られてしまいました。







「古泉っ……!」
「すみません、僕、かえり、ます」
 









 胸の奥がずきずきと痛む。
 自転車を置いた場所まで戻るのはやめよう、
 どうせ、乗れそうもない。
 走って帰れば、普段の僕なら追いつかれずに済みそうだけど、
 今は、どうか分からない。

 ……走ったら追いかけてくれると思っているのか、僕は。
 






 止めたくても止まる気配のない涙をもう一度拭って、立ち上がる。



 追いかけて欲しくない。
 何も言わなくていい。
 帰って、シャワー浴びて、眠ったら、
 僕は今日のことを忘れるから。
 なかったことに、するから。
 あなたもそれがいいんでしょう、
 それなら、





「待ってくれ」
「離して、ください」
「すまん、どう謝ったらいいのか、分からなくて」
「僕、帰ります」
「家まで送る。一人で、帰れないだろ。その格好じゃ」
 







 ……こんな格好にしたのは誰ですか。


 ふつふつと湧いてくる怒りもあり、
 僕は一言も発さないまま、彼の少し前を歩きました。



 彼はたまに何か言ってきたようだけど、
 普通を装って歩くだけでもつらくて、耳に届かない。





 










 もうすぐ家に着く。
 彼と離れられる。
 




「わっ……!」
「古泉、俺はっ、」
「やめてください!」





 
 足を早めた途端だった。
 彼に抱き締められたのは。




 また、される。
 僕の家に来て、同じことをするつもりなんだ、そうとしか考えられない。
 そうじゃなきゃ僕に触れたりするもんか。



 後悔していたのに、どうせ一回やったら何回やっても、同じだとでも?













 怖くて、彼を突き飛ばし走って逃げた。
 腰も、足も腕も痛かった、家に帰って改めて体を見たら、
 色んなところを擦りむいて血が滲んでいた。
 プール、昨日でよかった。
 彼女が海水浴へ行きたいと言い出す前には、治る程度だし。









 思い返すたびに悲しくなる。


 暑いのに布団を頭からかぶって、
 耳をふさいで、目を強く瞑って、
 極力何も思い出さないように、
 大丈夫、
 初めて神人と対峙したときだってこんな風に怖い思いをしたけどちゃんと眠れた。
 生きてこれた。だから大丈夫。
 眠ろう、眠って目を覚ませば、新しい明日が始まって、
  













 
 ――眠りたいのに。










 チャイムがうるさい。
 携帯の呼び出し音も、一分おきに鳴る。
 彼の着信音は特別だから分かる。
 機関からの連絡があったときのために電源を切るわけにはいかない、





 ああ、もう、うるさい、うるさい、うるさいです。
 










「いい加減にしてください」
「古泉! すまんが、邪魔するぞ」
「嫌です……帰ってください」
「そうはいかん」
 




 あまりにもしつこいのでドアを開けると、
 そこには思ったとおり、彼の姿がありました。

 無駄な抵抗は無駄なまま終わり、
 彼は僕の腕を引いて、部屋の中へと歩みを進める。





 あきらめるしか、なさそうです。
  


















「俺が悪かった!」









 諦めて、服、脱ぎましょうかと言おうとしたら、
 彼が、土下座を始めました。
 






 なんですか、いったい。
 






 
「お前が、めちゃくちゃかわいかったもんだから、我慢できなかった。すまん!」
「はい?」
「男にかわいいなんていわれても嬉しくないだろうが、俺にとっちゃ、
前から思っていたのが、突然甚平姿を見せられて、
ハルヒに追っかけまわされて喜んでるお前を目の当たりにしたら、
堪えられるものも堪えられなくてだな……」
「…………」
「前から好きだったんだ。先に言いたかったのに、
頭に血が上って、気付いたらやっちまってて」
「…………」
「好きなんだ。許してくれ、とはいえないくらい、ひどいことをした自覚はある。
何でもする、殴りたかったら殴ってくれ。すまん、古泉、ごめん」





















 ……冗談にしてはずいぶんきついですね。
 笑えません。
















「古泉?」
「……帰ってください。そんな話、聞きたくない」
「古泉っ……んなこと、言わないでくれ」
「触らないでください」
「嫌いになったのか」








 嫌いになるもならないのも、
 どうして最初から僕があなたを好き、
 だとでも言わんばかりの聞き方なんですか。
 あなたを好きだと言った覚えはありません。











 触るなと言ったのに髪を触ってくるし、
 僕は怒ってるのに笑っているし、
 あなたなんて、きらいです。きらいになりました。
 だから、出て行ってください、僕から離れてください。











「……やっぱ、かわいいな」
「……何を、言って……」
「大事にする」
「ちょ、っと」
「ごめんな。……好きだ、古泉」













 僕が言ってること、聞いていないでしょう。
 また抱き締めたりして。
 何を言っても聞いてくれないなら、言っても無駄ですね。
 先ほどからきょろきょろと辺りを見回していますが、
 救急箱なら机の引き出しの一番下ですよ。









「お、あった。足見せてみ。……結構、擦りむいちまったな」



 あなたが壁に押し付けて動かすからです。



「悪い悪い。染みるだろうが、堪えろよ」



 子どもじゃないんですから。消毒液くらい平気です。



「よし。偉いぞ。……ごめんな」




 また許可も取らずにキスを……



 しておけば、僕が喜ぶと思ってるんですか?
 そんなに単純だと思いますか。
 思っているんでしょうね。






















 ……事実、僕は、あなたに文句の一つも言えていない。














「責任取るから」
「何ですか、責任って」
「ようやくまともに喋ったな」
「……うるさいですよ」
「ずっと、大事にするって意味だ」
「う……」














 言いたいことはたくさんあるのに。






 彼の言葉が、表情が、撫でてくる手が嬉しくて、何も言えない。











 僕はいつの間にこの人をこんなに好きになっていたんだろう。
 僕の生涯は涼宮ハルヒに捧げるものだったはずなのに、とんだ誤算です。
 よりによってあなただなんて。








 もう、本当に、困ります、こんなの。





 好きすぎて、困ります。















 はあ……
 せめてあんな始まりじゃなければ、もう一度やり直せたら、
 なんて、
 無意味な考えですけど、
 あなたが好きだと言ってくれるだけで十分なはずなのに、
 人間とは我侭な生き物ですね。






 責任。ちゃんと、取ってください、……約束、です。











 忘れたら、許しませんから。






















thank you !

甚平ってとてもいいものですよね!
欲情やむなし!!!!

inserted by FC2 system