HB






一度目、朝比奈さんが落ちた池で、長門がいるとき。
二度目、白い鳩が現れた境内で、二人きりのとき。
三度目、夜中に呼び出され歩道橋の上で、これまた、二人きりのとき。

 






これだけの条件で同じサインを出されたら、
俺じゃなくても誘われていると思うだろ。
だから帰ろうとした古泉を追いかけて、
半ば強引にあいつの家に押しかけて、
意を決して押し倒したというのに、




 


「やめてくださいっ!」

 










まさか拒否されるとは。
しかも、目に涙を浮かべるほど、嫌だったとは。


















 

 

 


「キョンくん、ごはんだよー」
「いらん・・・」
「おなかいたいの?ないてるの?」
「ほうっといてくれ・・・」










サイン











俺たちは今年の夏の終わりから、
付き合い始めた。


 

 

新学期が始まったその日に部室で二人きりになり、
ポーカーをしながら話していたら、
突然会話が途切れ、
どうしたのかと顔を上げれば、
真っ赤になった古泉が俺を見ていて、






俺は咄嗟に、
古泉が何を言いたいのか理解した。

 

 

 

「・・・・・・すきです」
「おう」
「驚かないんですか」
「俺も好きだし」
「えええっ!?」
「お前が驚くなよ」

 

 


相当悩んだ挙句に告白してきたんだろうが、
直前に古泉の考えを分かってしまった俺には、
口をぱくぱくさせてトランプの札を
全部落とした古泉にハートのエースだけを拾って、

 


「じゃ、付き合うか」

 

と言ってやれるほど、
余裕があったのだが。

 

 

 









 

付き合って以来、古泉は二人きりになると照れくさそうに笑って、
どうでもいいような話を長々と楽しそうにしてくる。
俺は適当に相槌を打ちながらも、
そんな古泉を見ているのが楽しかった。
古泉が俺を好きになった理由は聞いていない。
俺が古泉を好きになった理由も話していない。
聞いてみようかと俺から持ちかけても、
赤くなって目を逸らし、
違う話をしてくるものだから、
恥ずかしいんだと思い、
いずれ時期が来れば話が出来るようになるだろうとその場は諦めた。

 

 

好きな奴と、お互い好きだと自覚して、毎日傍にいる。
それがこんなに楽しいとは思わなかった。
古泉を好きだっただけの毎日とは違う。
お互いに目を合わせて部室に残ったり、
一緒に帰ったり、
喫茶店に再度集合したり、
公園で夜になるまでくだらん話に花を咲かせたり、
一日一日が過ぎるたび、
古泉を好きになって、

好きになれば、

 


触りたくなるのは、当たり前だろ?

 

 

 


「キョンくん、電話ー!」
「・・・」
「電話だよ。おともだちからー」
「・・・切ってくれ」
「切るの? わかったー」

 

 

 

まずは夜の公園で手を繋いだ。
誰にも見られていないのを確認して。
古泉は驚いていったん手を離したものの、
辺りを見回してから繋ぎ直してきた。
どっちの心臓のか分からん振動が指先に伝わって、
帰り道は何も話せないくらいどきどきした。

 


何度かそれを繰り返し、
ようやく慣れてきた頃に、
古泉の家で、
初めて、唇を重ねた。


これは何度も失敗をしてる。
肩に手を置いた瞬間に逃げられ、
追いかけて捕まえてしようとしても、
両手で顔を覆って恥ずかしいから無理だと断られ、
幾度、同じ目に遭っただろう。
しかししつこくチャレンジを繰り返し、
ようやくこぎつけた。

 

 

そのときも押し倒したい気持ちを堪え、
なんとか今日まで我慢してきて、
今度は俺からじゃなく、
古泉が望んだときに関係を進めようと、
毎日注意深く古泉を見ていた。


そうしたら、
ここ数日で何度も髪を弄くり、
額を見せるような仕草をしてくる。
今までにはない仕草だ。
しかも、二人きりのときに、多い。

 

 

極めつけは今日だ。
夜中に訪れて、
誰もいない歩道橋へ呼び出して、
気だるそうに体を預けながら、
俺を頼りにしているといった話をして、
また例の仕草を見せられたら、
期待するじゃないか。
なのに・・・

 

 


「す、すまん、古泉」
「・・・・・・・・・」
「怒ってるのか? なあ、俺が悪かった、許してくれ」

 

 

俺が悪かった、それは、認める。
追いついてすぐに何も言わずに腕を掴んで家まで行って、
電気を点ける前にベッドに突き飛ばして服を脱がせようとした、
のは、悪かった。
けど、俺たちは付き合ってるんだよな。
好き同士なんだよな。
手を繋いで、
キスもしたら、
毎日一緒にいたら、
やりたくなるよな?
俺だけなのか?

 


体育座りのまま顔を上げてくれない古泉に、
若干の苛立ちも感じつつも、
もう一度謝って、自宅に帰ってきた。

 
















 

 

「キョンくん、またでんわー」
「・・・」
「お話したいって」

 


電話。
こんな遅い時間に?
さっきもかかってきてたな。






 

・・・古泉なのか?
あいつなら携帯電話を知ってるのに。

 

 

妹から受話器を受け取り耳を当て、
もしもし、と受話器に向けて声をかけると、
一瞬、誰だか分からない声が返ってきた。

 

『夜分遅くに失礼します。覚えていらっしゃいますか。
 古泉と同じ機関に所属している、森です』
「森・・・、森さん?」
『ええ。今、話してもよろしいでしょうか』
「はあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



















 


「すみません。遅くに」
「別に、構わんさ」
「・・・人のいない所へ、」
「ここでいい」
「いえ、ご家族に迷惑が、」
「いいからあがってけよ。この時間に外に行く方が怒られる」
「・・・・・・」
「心配しなくても、何もしない」
「! 心配なんて・・・」

 


深夜、古泉がまた、家に来た。






今度は腕を引かない。
先に階段を上ると、
すみません、と小声で謝って、ついてくる。

 

 


















森さんの電話で全てを知った。
古泉の告白も、今までの態度も、
全て機関からの命令でやったことだと。
















 

「別の派閥との争いは、いっそう激しさを増しています。
 未来人が朝比奈さんを選んだように、
 僕があなたを篭絡させるなんて絶対に出来ないと思っていました」

 





断り続ける古泉に機関側は無理強いをして、
夏休みが終わると共に告白をさせた。
そこで断られても、
俺の気を向けるためのストーリーは考えられていたらしい。
まさかすぐに付き合うとは誰も考えていなかったそうだ。
さらに、とんとん拍子で関係が進むとは。

 

 

キスまでならまだしも、
それ以上になると怖くて、
泣きそうな声で森さんにもう無理だと連絡をしたという。
いくら命令でも、
背けば酷いことをされると言われても、
これだけは、と。

 







「こちらの勝手で、あなたに嫌な思いをさせてしまったこと、
 深く反省しています。殴られてもいい、蹴られても、
 何をされても文句は言いません。本当に、ごめんなさい」
「何をされてもか。やろうとしても?」
「そ、そ、それは」
「冗談だ。・・・それにいまさら、お前を殴れるかよ」
「えっ」
「俺はお前が好きなんだぞ」

 


信じられないといったような顔だな。
俺だって自分に呆れてるさ。
騙されていたと分かっても、
お前に対して怒りも憎しみも湧かないんだ。

 


「どうして・・・」




どうして好きになったかなんて聞くなよ。
お前にとっちゃどうだっていいだろ。
一万五千回を越えた夏休みのせいで、
俺の頭にエラーが蓄積されてたんだ、きっと。
修正不可能な。

 

 





けど、お前は辛かったよな。
好きでもない男に両思いだと思われて、
手を繋がれて、抱き締められて、
どこが好きなのかと聞かれて、
答えられるはずがない。
 





考えてもみなかった。
お前に好きだと言われたのが嘘だなんて、
命令だから、だなんて、
一度も疑わなかった。






それがお前を苦しめていたなんて、
思いもしなかった。





すまん。













「謝るのは僕の方です、もっと早く言わなきゃいけなかったのに」
「お前はきつく命令されてたんだろ。仕方ないさ。
 それよりいいのか、途中でやめて、何もされないんだろうな」
「わかりません。森さんは理解を示してくれましたが、
 もしかすると僕は任を解かれて、あなたの近くには別の人が派遣されるかも」
「おいおい。いまさら、ハルヒが許すかよ。
 ・・・俺はたぶん、これからもお前が特別だから、って言っとけ」
「そ・・・、そんな、できません」






気色悪いか?
けど、そうでもしないと、
お前がどっかに左遷されちまうんだろ。
それだけは嫌だ。
俺は、お前じゃないと嫌だ。


お前には迷惑をかけないから。
しばらくすれば諦められる。
時間が解決してくれるのを待とう。











「どうして優しくしてくれるんですか。
 僕、酷いことをしたのに」
「何度も言ってるだろ。お前が好きだって」
「好きになってもらえるようなこと、何もしてないのに」
「お前はいるだけでいいんだよ」
「・・・ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝るなって」










男相手でも、
好きだと言われると、
照れるものなんだろうか。
古泉は真っ赤な顔を俯かせて小さな声で、謝り続ける。
もう触らないようにしよう、と思ったのに、
古泉を見ていると手が伸びて、頭を撫でていた。



そうしたらどういうわけか、


古泉が、


な、




泣いた。


















「お、おいっ! 古泉、どうした」
「あなた、みたいな、方を、だまして・・・
 ほんとうに、ごめんなさい」
「怒ってないぞ、俺は。気にするな」
「でも、傷つけて、しまいました」
「大丈夫だ、元々、付き合えるとも思ってなかったんだし、
 夢だと思えばいい。そうさ。思うから、な、もう忘れろ」
「ごめんなさい」

















古泉を慰めていたら、俺が落ち込んでいる暇はなく、
森さんの迎えが来るまでそうし続けていた。
深々と頭を下げる森さんに、
古泉が処分を受けないように念を押し、
そろそろ日も上がってくる頃、
ようやくベッドに入る。
眠気など吹っ飛んだ。


















かわいかったな、あの顔。
森さんが来なかったら、
あのまま、
抱き締めて、






「あ、や、やっ・・・!」





俺を騙した詫び入れさせるのも、








・・・俺に出来るわけないか。





































「こんばんは」




翌日。
放課後、部室に現れなかった古泉が、
また深夜に俺の家にやってきた。




目を真っ赤に腫らして。








「いったいどうしたんだ」
「・・・部屋に、あがらせてもらってもいいですか」
「ああ、それはいいが・・・」








腫れているのは目だけじゃない。
右の頬も、
・・・考えたくはないが、
誰かに殴られたような腫れ方をしている。











そして、
部屋に入るなり、
古泉は俺に抱きついてきた。







ある程度覚悟はしていた。
昨日の今日で、
単純に喜べるほどアホじゃない。
事情を話せ、古泉。




















「理解を示してくれたのは、森さんや、僕に近い方だけでした。
 上司は、あなたとの関係を、いまさら解消させるわけにはいかないと・・
 拒否権はない、と・・・。
 今日中にあなたと、・・・し、しなかったら、
 僕だけではなく、森さんたちにまで、危害が」







どこまで腐ってやがるんだ。
頭が痛くなる。







そもそもお前たちの神様とやらはハルヒだろ?
俺じゃなくて、
ハルヒに力添えを頼めよ。
その方がよっぽど簡単じゃないか。





「そういうわけにはいかないんですよ。
 詳しくは言えませんが、
 僕たちの手札はあなたしかないんです」













体をいったんは引き離したが、
古泉は俺に近寄り、
右手を、手の甲に置いてくる。









「無神経な願い事です、だから、どんなやり方でも、
 痛くても、構いませんから、
 どうか僕を、抱いてください」
「古泉、俺は」
「お願いします。僕だけの問題じゃないんです。
 してください」
「・・・・・・やったって、嘘つけよ」
「最中の写真を撮らないと、認めない、と言われています」
「写真って、お前・・・」
「僕の携帯に撮りますから、あなたの顔は写しません、
 迷惑がかからないようにします、お願いします」












昨日のお前の泣き顔に、興奮したのは確かだ。
けどな、
やっぱり俺には、
今のお前に手は出せない。












俺はお前が笑ってる時が一番好きなんだ。




































「う、うっ・・・」
「我慢しろよ。写真、撮るだけだから」
「はいっ・・・」







とはいっても、
何もしなければ、古泉にも、古泉の理解者である森さんたちにも、
酷い仕打ちが待っている。
だから俺は偽装写真を撮ることにした。

古泉を脱がせて、俺も脱いで、
正直、
勃ちそうにはなったが、
必死に意識を真面目な方向へ向けて、
目の前の体のことは考えないようにした。


やってるように見える角度を探し、
何枚か写真を撮る。
涙で濡れる目で古泉も確認し、
互いに納得できる写真だけを保存する。
仕上げに、
濃い目に溶いたカルピスに片栗粉を混ぜたものを腹に乗せて、
人生の無常を感じながら、撮影をした。









「それらしく見えるよな」
「はいっ・・・」
「何か言われたら俺を呼べ」
「これ以上、迷惑はかけられません」
「ここまでやったら気になるだろ、最後まで面倒見させろ」
「・・・ありがとうございます。
 どうやって、あなたにお礼をしたらいいのか・・・」
「全部終わるまで考えるなよ。
 それと、今日はもう寝ろ。ひどい顔してるぞ。
 明日も学校なんだからな」
「・・・・・・はい」


































あれでいいのか不安に感じながら、
古泉の報告を待った。
携帯電話を30秒おきに見て、
電話がかかってきたときは、
コンマ1秒もかからない早さで出た。






「古泉っ! 無事か!」
『はい・・・。信じて、もらえました』
「あー、よかった」
『でも、・・・また、するように、って』
「・・・そうくるか」
『すみません。すみません』
「予想の範囲内だぜ、都合いいときに、また来いよ」
『はい・・・』










一度や二度の関係を、機関は望んでない。
俺を古泉に浸からせるのが狙いなんだろう。























「すまん。マジすまん」
「い、いえっ・・・」
「時間をくれ・・・」








何度も繰り返せば、写真を撮る行為も慣れてきて、
慣れると、
気が緩んで、
古泉の体を見るのに、
意識が向いちまう。







「よかったら、お手伝い、しましょうか」
「そういうのは、駄目だ」
「そうですか」








そのたびに古泉がおびえた表情で聞いてくる。
手を、口を、僕のでよければ、
せめてものお詫びに、使ってくださいと。












何をしても、
どれだけ古泉を想っても、
力を尽くしても、
古泉の気持ちが俺に向くことはなかった。
だからそれだけは、
一線だけは越えられない。









あれ以来キスもしていないし、
抱き締めてもいないし、
手も繋いでない。
俺の耐久力は世に誇るべきレベルだと思う。
そして、
本気で好きだと、
どんな状況にあっても気持ちがなければ、
手を出すのが怖くなるのも、知った。







それから、もう一つ。
俺がオーケーサインだと思い込んでいた、前髪を触る癖、
あれは、
古泉が助けを求めている時なのだとも、気付いた。
















「辛いか」
「えっ?」
「リビングで寝るから、先に寝てていいぞ」
「でも・・・」
「おやすみ」








行為を終え、シャワーを浴びて戻ってくると、
古泉が前髪を触りながら、ぼうっと座っていた。
今までも、触っていたのは、
俺たちの関係が進むたび、だった。
それを勘違いしていたころの俺が懐かしくもあり、
情けなくもある。
古泉も俺を求めてくれているんだと思って、浮かれて、
馬鹿だな。






本当は俺から離れたがっていたのに。










今は全部分かってる。
だから古泉を部屋に残し、
掛け布団を持って下に降り、
リビングのソファに横になった。






















俺たちの関係はどんな終わりを向かえるんだろうな。
ハルヒの力が消えてなくなるまで、続けられるんだろうか。
俺はお前を守りたいよ。
もう、二人きりのときには見られなくなった笑顔を、
また見られるようにしたいんだ。










出来るよな、きっと。
お前も俺も、
これだけ耐えてりゃ、
いつかはハッピーエンドに辿りつけるんだろ?










そうでも思わなきゃやってられん。























早く、消えちまえ。


神様なんざ、


いなくなっちまえ。



















thank you !


二人の未来に幸あれ・・!



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