「昨日、妹の誕生日だったんだ」 「おや、そうだったんですか。何か贈り物を?」 「あいつが欲しがってた着せ替えゲームをな。急な出費で俺の財務省が泡を噴いてるぜ」 「いいお兄さんじゃないですか。次の日曜は遅刻できませんね」 「俺は一度も遅刻をした覚えはない。お前らが早すぎるんだ」 今日も安眠と交流を深めた授業時間が終わり、 部室へ向かうとちょうど朝比奈さんが着替えているところで、 扉の前で古泉が突っ立って待っていた。 俺を見るなり手をあげて気の抜けた笑顔を浮かべてきたので俺は目線だけで挨拶を交わし、 待っている間、昨夜の家での出来事を何の気なしに話したのだ。 すると古泉は思い出したかのように、ぽんと手を叩く。 「そういえば僕も明後日が誕生日でした」 「何?」 「祝う習慣がないので忘れるところでしたよ。コンビニのケーキでも買って帰りましょう」 「……そうしろ」 「はい。朝比奈さん、終わったようですよ、入りましょうか」
ひょんなきっかけから俺は、古泉の誕生日を知ってしまった。 古泉の発言は決して俺に祝って欲しいという意味を込めたものではないだろうが、 知ってしまった以上、何かしないといけない気がする。 部室にいる間も帰ってからも、暇さえあればどうしたものか考えていたのだが答えは出ず、 一人で悩むよりは相談してみようと思い立ち、翌日、昼飯時に弁当を囲みながら谷口と国木田に話を持ちかけた。 三人いればなんとやらというし。国木田はまだしも谷口が知恵を出せるとは思えんが、数合わせくらいにはなる。 「友達の誕生日かあ。どのくらい仲がいいの?」 「普通、だな」 「エロ本で間違いねえだろ。それ以外に何をもらっても嬉しくねえって」 ほら見ろ、谷口の利用価値などこの程度だ。 「そういうの読むようなタイプ?」 いいや。想像がつかん。あいつの家には一冊もなさそうだ。 「真面目なんだねー。ゲームはする?」 ボードゲームなら好きで毎日のようにやってるが、 これ以上俺までルールを覚えるのに付き合わされるのは遠慮したい。 あいつが覚えて俺に教えてきても、あいつが勝った試しがない。 「じゃあシンプルに食べ物とか。友達なら好きなものくらい、わかるんじゃない」 古泉の好きな食い物……? あいつ、どこに行っても俺と同じメニューしか頼まないから、分からんぞ。 たまには違うのを頼めと言っても、これがいいんです、と言い張って譲らない。 俺の隣に座って、いつも同じものを食うのを見ていると、 まさか、 ないとは思うがもしかしたら、 俺に気が……ないな。 何を考えているんだ、男相手に。 おかしなことを考えちまった。 そもそも古泉の誕生日を祝う必要なんかない、 どうだっていいじゃないか。 あいつが一人でコンビニのケーキを食ってたって。 祝われる習慣がなくたって、 ……。 ……くそっ。 「他に定番といえば文房具とか?」 「つまんねーだろ。男同士で気使う必要もねえだろうしよ、パンツでもやればいいんじゃねえの」 「ええっ、パンツ?」 「俺の親戚のねーちゃん、海外行くたびに土産にパンツくれるぜ。勝負パンツってやつな!」 「使ったことないんだろ」 「うるせー! もったいないから今日も履いてるっつーの!」 「ははっ、あっという間によれよれになりそうだねー」 国木田の意見に全面的に同意させてもらうとして、谷口のこの案、悪くないかもしれない。 毎日使うものだし、男同士ならいやらしくはないだろう。 「今日暇か? お前ら」 「僕は用事があるんだ」 「俺は暇だぜ!」 だろうな。せっかく勝負パンツなのに親指立てて大声で言っちまうお前が不憫でならないよ。 かくして俺は放課後、谷口にSОS団の活動が終わるまで教室で待たせ、買い物に付き合わせることにした。 なんとなく一人で選ぶのは気分が落ち着かないように思えたからだが、 まさかそれがとんでもない事態を引き起こそうとは、 ……なぜあいつが隣にいた時点で気付かなかったんだろう。 「ほれ」 「えっ? 何ですかこれは?」 「分かってるだろ。もう忘れたのか、今日が何の日か」 少なくとも俺は古泉に放課後の部室で包み紙を渡すまで、過ちに気付いていなかった。 それどころか意気揚々と自信満々に、ニヒルな笑みまで浮かべて渡してやったのだ。 古泉はきょとんとした顔をしたが袋に青いリボンが巻かれている理由を察した瞬間に驚きの表情に変わる。 それは喜んでいる、とはいささか違う、複雑な感情が込められているように見える。 「どうしてあなたが? お気を遣っていただかなくとも……」 そう言われると思っていたさ、けどな、俺が気まぐれでも何でもお前に持ってきたプレゼントを、素直に受け取れんのか。 「すみません。もちろん嬉しいですよ、ただ、あまりにも驚いてしまって」 もう一つくらい文句を言おうとしたのだが、古泉が今度は嬉しそうに笑ったから、許すことにした。 そうさ、お前は素直にしてりゃあかわい…… くはないぞ。 男だから。 危ない危ない。 だまされるところだった。 「早速開けてみてもよいでしょうか?」 「おう」 「何でしょう、この手触り、柔らかいもののようですが」 目を輝かせてリボンを解く古泉を見て、一瞬、嫌な予感がした。 なぜかは分からないが、ハルヒに振り回されてきたおかげで危険を察知する能力を身につけたらしい。 しかし残念ながら、それを回避する能力はなかった。 俺が古泉にプレゼントする予定だった赤い水玉のトランクスは、 開いた包み紙からは現れず、 代わりに姿を現したのは、 「な……こ、これは……」 「……嘘だろ…………」 両側が細い紐で結ばれている、桃色の、面積の少ない下着だった。 下着、そう、俺はこの正式名称を知らない。なぜなら履いたことがないからだ。 ……女物の下着など。 「ど、どうも、ありがとう、ございます」 引きつった笑顔を向けられる俺の表情も、今、どうなっているのだろう。 あのアホめ、俺が便所へ行っている間にこんな罠を仕掛けたのか。 ふざけやがって。 相手は古泉だぞ、冗談が通じるような相手じゃない。 ほら見ろ、もう俺を汚いものでも見るかのような目で見つめてるじゃないか。 そんな目で見ないでくれ、俺は、ちゃんとお前に似合いそうなものを選んだんだ、 ピンクの、紐しかないようなパンツを履いてほしかったんじゃない。 「どこから驚いたらいいのか、分からなくなってきましたよ」 夕刻を過ぎた校舎には、窓からオレンジ色の光が差し込み、雰囲気だけはやたらといい。 俺たちの間に渦巻いている空気はどす黒いが。 動揺するな、このまま慌てて否定すれば谷口のアホの思う壺になる。 それだけは断じて許せない。あいつにだけは白旗を上げるものか。 何か言おう、この場を明るく盛り上げて誤魔化し、 これが高レベルの冗談だったという流れにすればいい、 古泉も、俺がふざけただけだと分かれば笑ってくれるだろう、頼む、笑ってくれ。 「せっかくだから、どうだ、履いてみたら」 「ええっ!?」 しかし、俺の口は事態をますます悪化させようとしているとしか思えない言葉を紡いでしまった。 古泉はついに笑顔を取っ払い、恐怖に歪んだ目を向けてくる。 一応パンツを握り締めてはいるが、震えながら両手で、というあたり、藁にもすがる思いなのだろう。 古泉、お前、俺をそんな奴だと思ってたのか? 俺がタチの悪い冗談を言ってもお前はすぐに分かってくれていただろ? お前とはある程度分かり合えていると思っていたのは俺だけか? 「ま、まさか、ここで、ですか」 「そりゃあ、そうだ」 「ななな……!」 俺が笑顔で言ってやったのに、古泉はますます恐怖におののき、俺から遠ざかって部室の奥へ逃げ込んでいく。 バカだな、逃げるならドアの方じゃないか。 「なっ、何で、捕まえるんですかっ」 「お前が逃げるからだろ」 「やめてください、や、やだっ」 追いかけて捕まえて壁に押し付けると、顔を赤くして首を振る。 嫌だという癖にたいした抵抗もない。単に力が入らないだけか。 ……お前、近くで見ると、かわいい顔してるな。 その泣きそうな顔、結構、やばいんだが。 「履けって」 「いや、です、恥ずかしいじゃないですか、男なのに」 「俺しか見てないんだぞ」 「だから嫌なんです」 俺が近づくほど、頬と耳を赤くする様子を見て、直感的に思った。 こいつ、俺に惚れてるんじゃないか? 頭の中に、そのフレーズが浮かんだ瞬間、古泉の両腕を掴んで床に押し倒し、 無理やり、唇を重ねていた。 「っ!! なに、するんですかっ!」 が、次の瞬間には、古泉に頬をグーで殴られ、体が吹っ飛ぶ。 「信じられません、僕、は、はじめて、なのに」 「あたたた……何? そうなのか?」 「どうして、こんなこと」 古泉は必死に唇を拭ったが、 手に持っていたのがハンカチではなくパンツだと気付くと慌ててポケットに仕舞い込み、 代わりにティッシュを取り出した。 どうやら俺の直感は外れだったらしい。 いや、完全に外れとは言えず、半分だけ正解してる。 「んなの、理由は一つしかないだろ」 惚れてるのは俺のほうだ。 「惚れ、って、あなたが、誰に?」 「お前に言ってんだろうが。聞くか、それを」 「僕を?」 「そうじゃなきゃ誕生日を祝おうとも思わないし、……さっきのだって、しないだろ」 俺を殴るほど怒りを露わにしていた古泉だが、 俺の言葉を聞くと大人しくなり、閉じた唇に手を当てる。 そのまま考え込むように黙ってしまったため、何を言えばいいのか分からなくなる。 そうか。俺はこいつが好きなのか。それなら納得がいく。 誕生日を祝いたくなったのも、古泉をたまに、どうしようもなくかわいいと思っちまっていたのも。 しかしだ。自覚できたのはいい。 だが、その惚れた相手に女物のパンツをプレゼントして、履けと言ってしまったのは、人としてどうなんだ。 深い悩みのせいでしばらく黙っていると、 古泉はポケットに入れたパンツを取り出し、 俺に差し出してきた。 「最初から、こういうのは、無理です」 「だろうな……すまん」 「……でも、順を追ってくれるなら、考えなくも、ありません」 「……マジか」 「考えるだけで終わるかもしれませんけど」 頬を少しだけ赤く染めて、笑って、古泉は言った。 古泉の優しさに感動で涙が出そうになり、 持っていたパンツで目元を拭った。 笑顔が若干引きつったように見えたが、気のせいだろう。 お前に好きになってもらえるように努力をするぜ。 手始めに、今日はお前の誕生日だから、 ちゃんとお前が欲しいものをプレゼントして、仕切り直しといこう。 「パンツ以外でお願いします」 「俺とペアパンツってのも、悪くないんじゃないか?」 「冗談は顔だけにしてください」 「おい!」 鞄を持って廊下を歩きだす古泉を、あわてて追いかける。 古泉は途中で振り返り、笑いながら、俺を待っていてくれた。 それだけで勝算あり、と思ってしまうのは、短絡的か? きっかけがパンツのプレゼントだろうと、 俺たちの未来が輝かしいものになるなら、 それはそれで悪くない。 さあ、 お前は何が欲しいんだ? 何でも言ってくれ、 俺はお前の願いなら、 ハルヒ以上に叶えてやれるような気がしてるからさ。
パンツアンソロ用の没原稿救済でした。
ちょっとまじめすぎたから没にした!(?)