彼の名は、何と言っただろう。
「あいつ、あれから全然顔見せないわね」 彼女も、彼の名前を口にしない。 僕もしない。 だから、何だったか忘れてしまった。 彼と一緒にいた二人の女性とも、 あの日以来会っていないから、 僕と涼宮ハルヒの日常は、 元通りになる、 はずだった。 「古泉くん、帰らないの?」 「すみません。放課後は、用事が」 「ふうん・・・・・・。ま、いいわ。また明日ね」 「はい、また明日」 彼女との学校生活に不満はない。 彼女が僕の傍にいてくれさえすれば満たされる。 そうだったのに、 彼がいなくなってから、 僕が放課後に向かう先はいつも、 僕が通うより、 坂の上にある高校だった。 門を通過していく生徒の中に、 彼の姿は見つけられない。 僕が授業を終えて涼宮ハルヒに言い訳をしてここに来るまでには時間がかかるから、 その間に帰ってしまっていたら、会えない。 ・・・・・・僕は彼に会いたいんだろうか。 「古泉、本当に俺を、覚えていないのか」 必死に肩を揺さぶってきた彼の顔が今も瞼の裏に残る。 わけが分からなくて手を振り払ったら、 とても悲しそうに目を伏せた。 彼は知らない人だ。 名前だって、覚えていないけれど、明らかな偽名を使っていた。 初対面で信用出来ないのは当たり前だけれど、 偽名を名乗るなどよほどの人だと思う。 でも、 彼は僕を知っていて、 それだけでなく、 恐らく、 僕を・・・・・・ 「いない、か」 日が暮れてしばらく経つと、 生徒の姿が見えなくなる。 やがて校門は教師の手で閉められた。 今日も見つけられなかった。 ああ、 そういえば彼は、 僕と彼女が帰るところを見つけて声をかけてきたんだっけ。 それなら彼のほうが帰るのは早いはずだ。 はあ・・・・・・ こんな単純なことにも気付かず、 一ヶ月も毎日待っていたなんて。 彼女も呆れているでしょう、 僕の興味が別に移ったと思われても仕方ない。 それでも校内では僕といてくれるだけありがたい。 彼を知っているのは、 僕と、彼女しかいないから。 毎晩のように夢を見る。 あの日まではほとんど見なかったし、 見ても、忘れていい夢ばかり。 今は、 起きた瞬間に忘れないように夢の内容を記録してる。 「古泉」 ヒントをくれるでもなく、 夢の中の彼は、 ただ僕の名前を呼んでくるだけ。 ・・・・・だけ、じゃない。 あの日に、 北高でされたみたいに、 「古泉、俺は、」 僕を正面から抱き締めて、 「俺は、お前が好きなんだ」 触れられていた部分が熱くなる。 あんな、 同性に抱き締められて、 気持ちの入った言葉をもらっても、 気色悪いだけなのが一般的だ。 そういった嗜好の人に差別意識を持たないつもりだけれど、 自分に向けられたら拒絶すると思う、 思ってた。 それに僕の理想は涼宮ハルヒのはずだ。 なぜかは分からないけど、 直感的にそうだと思ったし、 彼女と出会ったときに運命に似たような何かを感じていた。 その彼女が、 僕を選んでくれている。 それなのに僕は、 彼の夢ばかり見て、 彼の体とかかる息の熱さばかり思い出して、 彼に、 ・・・・・・会いたい。 その日はインフルエンザが別のクラスで流行しているからと、 午後から学級閉鎖になった。 彼女が声をかけてくれたけれど断って、 僕はまた、坂を登る。 今日なら。 彼に会えるかもしれない。 必死に坂道を走ったから、 寒さなんてほとんど感じない。 彼に会えると思うと、 体のどこか奥が痛くなる。 会ってどうするつもりなのか、 自分でも分からない。 けど、 彼が言うとおり僕は彼を忘れていて、 それはとても大切な記憶で、 彼が想ってくれているように、 僕もそうしていたんだとしたら。 思い出したい、彼を。 授業を終えるチャイムが鳴ると校門には生徒の姿が見えるようになる。 いつもよりも人通りが多い。 見逃さないようにしよう、 彼の背は大体僕よりも数センチ低いくらいで、 カーキ色のコートを羽織っていて、 青いマフラーをしていた。 青、 青・・・・・・ 「!!」 人の流れがますます増えてきた、そのとき。 僕はその中に彼を見つけた。 隣には友人らしき男子生徒の姿がある。 一瞬ひるんだけれど、 その後すぐに、駆け寄った。 「あ、あのっ・・・・・・!」 「ん?」 「なんだあ?」 僕を見たらすぐに分かってくれると思ってた。 ・・・・・・半分くらいは。 「古泉です、分かりませんか」 「何こいつ、キョンのダチ?」 「いや、知らん」 「!」 「お前光陽園のヤツだろ? 俺らに何の用だよ」 ……彼はあの日、元の世界へ戻るのだと言っていた。 そして、北高の部室で姿を消した。 もし彼の言ったことが真実なら、 彼はここにいない。 僕を見つけて、 抱き締めて、 名前を呼んでくれた、 あの彼とこの人は、違う人だ。 「僕は、あなたに、話が」 「俺?」 「おいおいキョン、何やらかしたんだよ」 「知るかよ」 キョン。 そう彼が名乗ったのは、 そんな名前だった気がする。 「俺に用があるって、誰かと間違ってないか」 「いえ、僕は、・・・キョンさんに、用事が」 「行ってやれよ。そいつなんか真剣だし」 「うむ・・・・・・」 「じゃ、また明日学校でなー!」 「おう、じゃあな」 彼の友人は、いい人だ。 僕たちを二人きりにしてくれた。 僕も会釈をして、 彼が指差した方向へ、並んで歩いていく。 その方向は一般的に北高の生徒が帰るのとは違う道で、 静かに住宅が立ち並ぶだけで、 人通りは少ない。 「で、何だ、俺に用って」 「ええと、その」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 どう話せばいいのか分からない。 会いたかったのに、 彼が僕を知らない事態も想像出来ていたのに、 考える時間はあれだけあったのに、 僕はこの人に会いたいとしか思っていなかった。 彼のように全てを打ち明けようか? ・・・信じてもらえるとはとても考えられない。 そもそも僕は彼の言う世界を知らないから、 よく分からない世界の話を説明するなんて、 出来そうにない。 何も話せないまま坂を下る。 彼の視線を感じながら、 僕はただ俯いて歩いた。 「結局何なんだ」 「・・・・・・すみません」 「話がないなら帰るぜ」 「・・・・・・」 せっかく気を使ってくれた、 何度も僕に話すチャンスをくれた、 けど僕からは何も言えなかった。 この人は、彼とは違う。 だから、僕を好きじゃない。 僕を抱き締めたりもしない。 彼は自分の世界にいる僕を好きだった。 ここにいる僕じゃない。 だから、 今ここにいる僕は、 あちらの彼に会いたかった僕は、 あちらの僕になれなかった僕には、 どうしようも、ないじゃないですか。 「はー・・・・・・」 大体、彼から好きだと言ってきたのに僕が必死になって、 どうして、こんなに、胸が苦しくなるんですか。 僕は、 僕は涼宮さんが、 「古泉、だっけ」 「えっ・・・・・・あ、は、はい」 「言いにくいならまた今度でもいいぜ、俺は」 「・・・・・・すみません、僕が呼び止めたのに」 「事情があんだろ。俺にはわからんが。携帯、赤外線使えるよな」 「え? はい、使え、ます」 「こっちから送る」 「あ・・・・・・はい」 「後でメールで、お前のアドレス教えろ」 「はい」 同じ高校生とはいえ、 不審者だと思われても仕方がない僕に、 彼は、自分から、アドレスを教えてくれた。 いつでも連絡が出来る。 北高で待ちぼうけしなくても、 彼に会える。 「じゃな」 「ありがとうございました」 「何もしてねえよ」 「・・・・・・いえ、嬉しかったです」 「へ?」 「お会いできて、嬉しかったです」 「お、おう・・・・・・」 ではまた、 と、 お辞儀をするだけで、精一杯でした。 別人だと分かっているけれど、 この世界の彼は、彼しかいない。 僕が好きになる人は、 あの人、 なんだと、 思います。 思い、たいです。
きっと続く!!!!!
キョン視点で戸惑いながら近づく二人を・・・