町中にハートの飾りが溢れて、
甘ったるい匂いがそこかしこから漂ってくる、2月上旬。



もうすぐやってくるバレンタインデーに向けて、
涼宮ハルヒ達は彼にチョコレートを渡すために色々と仕掛けをしているようです。
しかしながら彼は全く気付いていないように見えるのが、面白いところです。
意識して気付いていないふりをしているのか、
本当に忘れているのか、後者である可能性が高いと僕は見ていますが。
朝比奈みくるの件がありますしおそらく心に余裕がないのでしょうから、仕方のないことです。




甘い物はそれなりに好きだけど疲れたときに食べるくらいで、
普段はそんなに食べたりしない。
だけどこの日にはここぞとばかりに下駄箱や机にチョコレートを詰め込まれる思い出があります。




「女子が学校にチョコレートを持ってくるなんて都市伝説だ!」



部室に向かう途中、
確かあれは彼のクラスメイトの……失礼ながらお名前は失念しましたが、
映画の撮影でも協力いただいた二人が廊下で話をしていました。



「谷口。僕は中学時代にもらったけど」
「なんだって! お前の中学の女子率は90%か!」
「違うよ。そんなわけないじゃん」


すれ違う時に目が合いましたが、背の高い方の谷口さん、
は僕のことを怪訝そうな目で見るばかりで、
背の低い方だけが会釈をしてくれました。


「キョンなら、先に部室に行ってるよ」



聞いていないのにそんなことを言われて、
つい僕も「ありがとうございます」なんて言ってしまいましたが、
探しているようにでも見えたのでしょうか?
まあ、僕と彼らにそれ以外の共通の知人もいませんから、
当たり障りのない話ではあります。



「くそ、9組の女子は全部あいつに持っていかれるんだ」
「うん、それは間違いなさそうだね」



その場を去る僕の背中に恨めしそうな声が届いて、複雑な気持ちにさせられました。
こうやって気付かないところで恨まれたりしているんでしょうか、僕。
しばらくは涼宮ハルヒとこの世界を守ることだけで忙しいでしょうし、
今の僕に一般の女性と交際が出来るとも思えません。
かといって、一般的ではない宇宙人・未来人の方々とも出来るとは、思っていませんけど。





先に、部室に、か。







My Sweet Darli'n







一般人の男性、何の力もない特殊なものなんか何もない、
一見どこにでもいそうな彼を、涼宮ハルヒは選んだ。
彼と知り合ってからの彼女は優しくなったし、笑顔も増えたし、
僕の閉鎖空間への出勤もだいぶ減ったから安心していたのに。






あろうことか彼は僕に対してあまり一般的ではない感情を抱いているらしいのです。
らしい、などと疑問に感じる余地も実はほとんどないくらいで、
何度も何度も好きだと面と向かって言われているし、
僕と二人きりだとまるで別人のように優しい。
涼宮ハルヒにこんな態度で接してくれれば世界はすぐに平和になるのにと思っても、
そして何度もそう言っても、

「でも、俺はお前が好きなんだから仕方ないだろ」

の一点張りです。


まったく、困ったものです。
僕は男なのに。
彼にそんな趣味があるとはどの報告書にも記載されていなかったのに。


お付き合いは出来ない旨を伝えてきっぱりと断ろうとしましたが、機関の判断は「現状維持」。
そんなことは彼にとっても辛いだけかと思いました、
でも、彼はいつも楽しそうです。


体が芯から冷えそうな風が強く吹いて、マフラーが揺れる。


薄紫の、暖かいマフラー。



彼が僕にクリスマスプレゼントにとくれたもの。
何も準備なんかしていなかった、
物をもらうなんてことは考えもしなかった。
クリスマスはそんなイベントだけど、
僕の家には小さい頃からサンタなんて来なかったし、忘れていたんです。
ケーキも予約してくれていて、あの日は……嬉しかった。
そして、楽しかった。
僕自身が彼にどんな感情を抱いているかなんて考えたことはなかったけど、
嫌いじゃないと、確かにそう思った。



お礼を、しないといけない。
ずっとそう思っていて一ヶ月が過ぎて、
その間に風邪を引いた僕の看病までしてもらって、
お世話になりっぱなしという状態です。
どうしよう、と思っていたらいつの間にか街の色が変わっていて、
駅の中でも限定のチョコレートが売られていたりと、
バレンタインムード満点というところです。



……僕からこの日に何かプレゼントするのはおかしいでしょうか。
普通に渡しても礼なんていらない、と受け取ってくれなさそうだし、
イベントに合わせてなら、気軽な気持ちで受け取ってくれるのではないでしょうか。
チョコレートはたくさんもらうだろうから、
食べる物より形に残る物がいいかな、何がいいんだろう。
彼の好きな物はなんだろう、好きな色は。




彼はどうして僕の好きな色を、知っていたんだろう?




「……俺の顔に何かついてるか?」



部室で二人きり、オセロを囲みながら、僕は彼を注意深く観察してみました。
だけど着ている制服なんて同じ物だし、靴も似たような色だし、
どこから彼の好みを判別したらいいのか全く分かりません。



「いえ、どうぞお気になさらず」
「いやいや、お前に見られてたら気になるだろ」



そうでしょうか。そうかも、しれません。
でもあなたも暇さえあれば僕のことを見ているじゃないですか、同じようなものです。
見れば見るほど、それに気付いた彼が頬を赤くする。
何か言おうとしてはやめて、目を逸らして、
長門有希の愛読書を持ってきて興味もないだろうに必死に読んでみたりしている。
見られることには慣れていないんですね。






それから一週間ずっと僕は彼のことを目で追いかけて、
持っているシャープペンシルの色とか、
自転車の鍵がついているキーホルダーの形とか、
小さなところから何か見つけようと努力をしてみました。
その甲斐もあって、彼が持つ小物は黄色が多いとか、
シンプルな形が好きなようだとか、そのくらいのことなら分かりました。
黄色ですか。ちょっと意外でしたが、アクセントにはいい色ですよね。




「古泉!」



僕がやっと独自調査を終え、先に帰ろうとしていたところを呼び止められました。
振り向いてみると鞄を持って走ってくる彼がいて、
どうやら一緒に帰宅することを希望されているみたいです。


「お前、何か隠し事してないか?」
「何のことでしょう」


坂道に差し掛かったとき突然そんなことを聞いてきた彼の顔は、いつになく真剣です。




「ずっと何か考えながら俺のこと見てたじゃないか」
「そうでしたっけ」
「とぼけるなよ。まさか、転校するとか言うんじゃないだろうな」
「はい?」


僕の立場は謎の転校生、でしたっけ。
だけどそんなに簡単に転校はしませんよ、少なくともこの学校に彼女がいるうちは。
あなたもご存知かと思いましたが。
でも、冗談で言っている顔ではありません。



「転校なんてしません」
「そうか……どこかにいなくなったりもしない、んだよな」
「ええ。涼宮さんがいる限りは。彼女が望んでいる限りは、が正しいでしょうか」
「じゃあ大丈夫だ。あいつはお前のこと、頼ってるし」


ほっ、と大げさなため息をついて、どうやら安心したようです。


「なんで俺を見てたんだよ、ここんとこずっと」
「さあ……特に意識していたわけではないので、気のせいかと」
「なんだよ。変な期待をするところだったじゃないか」


変な期待? いまだにあなたはバレンタインについて思い出した様子もないし、
一体何に期待をするというのでしょう。



「お前が俺を好きになったか、って期待だよ」
「ああ、なるほど。それはありません」
「はっきり言いすぎだっ!」



がくっと肩を落としてその場に崩れ落ちそうになりながら、
それでも立ち止まらずに僕の隣を歩いている。
こんなやりとりを何ヶ月か続けているけど彼は一向に諦める気配がない。
僕も僕で、こんな時間が楽しいと、思っていた。





それと、好きかどうかは関係ありませんけど。
彼と電車で別れてから僕は少し離れた街の大きなデパートに入っていく。
チョコレート売り場以外にも男性向けフロアに女性の姿がたくさんあって、
イベント前という活気に溢れている。




さて、一体何が良いのでしょうか。
好きな色や形はなんとなく分かりましたが、欲しいものなんて分かりません。
ふらふらと色んな売り場を歩いているうちにだんだん面倒になってきました。



「本当に必要でしょうか……」


僕はそうしてほしいと言ってないのに全部彼が勝手にやったことだ。
本来なら彼の言うとおりお礼なんてしなくていいんだろう。
これでいい、とか言って僕の頭を撫でてきたこともあった。
あれだけでいいなら、僕が悩むような必要も……
さすがにそれは、不誠実すぎますね。




はあ、と、自分になのか、
このあてもない買い物になのか溜息をついてもう一度売り場に目を向ける。
アクセサリーをつけているところは見たことがないし、
鞄は学校指定の物があるし、
携帯ストラップは高校生でこんなブランド物なんて似合わない。



見れば見るほど贈れるものの選択肢が減っていってまたやめてしまおうかと思ったときに、
視界に入り込んできたのは、時計。

いつも部室で涼宮ハルヒに言われていた、


「毎日遅刻ぎりぎりなんて団長として恥ずかしいわ、朝早く起きる習性をつけなさい!」


と。もしかすると目覚まし時計なんていいんじゃないでしょうか?
とびきりうるさい、時計を。
腕時計のように毎日身につけるものだと本気で肌身離さず持ち歩きそうなので、
それはちょっと僕の気分的にも複雑なものがあります。


自宅で使ってもらうものならそんな心配もないし、
黄色……のものにしようかと思いましたがこれは派手すぎますね。
シンプルな青いものにしましょう。
少し名の知れたデザイナーの作った時計らしくそれなりに良い値段ですし、
贈り物には良さそうです。


「プレゼントですか?」
「ええ」
「ラッピング用のリボンですが、ピンクとイエローとオレンジがございます」
「ええと……」


そういって差し出されたのはずいぶんとかわいらしく作りこまれたリボンで、どう見ても女性用です。


「リボンは結構です。出来るだけ、シンプルな包装でお願いします」
「かしこまりました」










当日。
彼は本当に直前まで気付いていなくてチョコレートを見たときに、
やっと今日が何の日か分かったようです。
あんなにクリスマスは意識してイルミネーションを見に行ったりケーキまで買ってくれたのに、
不思議な人だ。



「ああ、そうか、バレンタインね、バレンタイン……」



チョコレートを手にしながら頭を抱えて一人で呟いて、
それでも喜んではいるようで。
僕が何か準備しているなんて微塵にも思っていないんでしょう、
しきりに三人に礼を言っては嬉しそうに笑っています。
僕もいただいたチョコレートを大切に袋の中にしまいながら、
鞄の中にある紙袋に目をやる。
朝比奈みくると二人きりで話をしている彼は、
今日はあまり僕のことを気にかけてはいない。




いつもは勘弁してくださいと言いたくなるくらい見てくるのに。
今日に限って、話しかけても来ないんですね。
他に気になることがあるんでしょうけど、少しは話しかけてくれたっていいのに。
そうじゃなきゃ僕から積極的にこれを渡したりはできない。
あなたが話をしてくれればその流れで渡そうと思っていたから、
どうしたらいいかわからない。




「古泉くん、そっちよね。帰り道。チョコレートはさっさと食べること! じゃあねっ!」
「気をつけて」
「はい、涼宮さん、長門さん、今日は本当にありがとうございました。大切にいただきますね」



気付けば僕は分かれ道に立っていて、
先を行く朝比奈みくると彼は……話に集中しているのか、
こちらを振り返ることもなく歩いている。


結局涼宮ハルヒと長門有希にだけ別れの挨拶をして僕は自分の家への道を歩いた。





結局、渡せなかった。
思えば僕が誰かに何かを贈るなんて初めてのことだ。
タイミングも方法も、分からない。
ベッドに鞄ごと放り投げて携帯電話を手に取る。
電話にしようか、メールにしようか。
どうして僕が彼のことで悩まなきゃいけないんですか、全く。


『お客様のおかけになった電話はただいま電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため……』




そして電話も繋がらない、と。もういいです。
毎日遅刻しちゃえばいいんです。
涼宮ハルヒに怒られていればいいんです。
でも彼女の機嫌を損ねるのは困ります。


「はあ……」



仕方ないのでメールを書く、今どちらにいますか?
特に急ぎではありませんが用があるので時間が空いたときに連絡をください、
すぐに送信。



三人にいただいたチョコレートを眺めながらも携帯を気にしていたけど、
ずっと、鳴らない。





僕からメールを送るなんて初めてなのに、
あなたからメールが来てずっと放置して返事をしたっていつも返事がものすごく早いのに、
今日はどうしてこんなに遅いんですか。
どうでもいい、彼のことなんてどうだっていいはずなのに、
こんなことを考えている自分が嫌です。
鞄を開けて、箱がつぶれてないか確認してほっとしてるような自分も、嫌です。










『悪い! 本当に、ごめん、今からでも会えないか』
「会えませんよ。何時だと思ってるんですか。終電もありません」
『あ……らかわさん、とか』
「新川さんは24時間営業じゃありません。勝手に使わないでください」
『そうだよな……すまん……』
 




返事が来たのは24時を過ぎた頃。
朝比奈みくるに、どうしても外せない用事があったそうです。
僕からのメールに気付いてあわてて電話をかけてきた彼は電話越しでも分かるくらい興奮していて、
新川さんに頼めば恐らく嫌な顔一つせずに連れて行ってくれるんだろうけど、そんなの……頼んであげません。



『何だったんだ? 用事って』
「もう済んだことです。僕、寝ますから、切りますよ」
『こ、古泉……本当に反省してる。なあ、好きだよ』
「切ります!」
『こいず』



電源ボタンを押して電源ごと切って、ベッドに突っ伏して、
まだ出かけたままの服だけど、ぐちゃぐちゃになっちゃうけど、
何でもいいです。今日は何もやる気になれません。

夕飯もお風呂もいりません。おやすみなさい。







翌日。
彼は朝から僕を待っていて、
笑顔で声をかけてきましたが、
何だ、朝、起きれるんじゃないですか。
と思った僕は笑顔で挨拶だけして早足で坂道を登ります。


「古泉! ちょっと待て、無視すんなって」
「人聞きの悪いことを言わないでください。無視なんてしてませんよ、挨拶をしたじゃないですか」
「そうじゃなくて昨日の、」
「しつこいです。僕、しつこい人は嫌いです」
「な…………」



はっきりきっぱり言い捨てると彼は失速してついてこなくなりました。
本当は、今日も……持ってきているけど、こんな調子じゃ渡せそうにありません。
また溜息が出てくる。
何をこんなにムキになっているんでしょう、僕は。
普通に渡してしまえばそれで済むことだと、分かってる。






放課後もまた彼は朝比奈みくるとどこかへ消えて、
僕は涼宮ハルヒや他の生徒の文句受付係を担当、
事態が収まった後に部室に戻ると早速ホワイトデーの話になりました。
予想はしていましたけど、さすがは涼宮さんです。
逆にどこまでの要求をされるのかは予想できません。
……アルバイト、頑張らなくちゃいけませんね。




本日何度目か分からないため息をついて彼を見ると、
まるで同じように息を吐いて肩をすくめていて、思わず笑ってしまいました。
同じ苦しみを共有すると仲良くなれるらしいですが、
……なんとなく、張っていた気分が緩んでいきます。



「それじゃ、二人で作戦会議すること! 今からじゃ遅いくらいなんだからね。期待してるわよっ!」
「えへっ、あたしも、期待してますぅ……頑張ってくださいね」
「右に同じ」




三人が一ヵ月後のイベントに多大なる期待を示して帰っていくと、
部室には彼と二人きり。
先ほどまでの空気が不意に変わって、
彼はどうやら僕に何を話しかけていいものか気配を窺っているようです。



もう怒っていませんよ。
僕の方があなたの都合も考えずに自分勝手な感情に浸っていただけなんです。





反省して鞄から紙袋を取り出すと、
彼はなぜか血相を変えて僕の傍に寄ってきました。


え、何をそんなに焦っているんですか?



「おい古泉、何だよそれ」
「え? 何って、これはバレンタインに、」


 あなたに渡そうと思っていた、


「誰から貰ったんだ」
「はい?」
「バレンタインが終わったのにそんな大事そうに抱えて……
 本命か? 本命なのか? 同じクラスの女子か?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださ」
「それを俺に言いたかったのかよ。まだ付き合ってはいないよな?
 頼む、俺、もっと頑張るからもう少し時間をくれ」




何ですか、一体何をどう勘違いしたらそうなるんですか。
手、そんなに強く掴まないでください。
そんなに必死な顔も、しないでください。
そうじゃなくて、そうじゃ、ないのに、




「付き合ってないですよ。誰とですか一体……」



説明をするのも恥ずかしくなってきました。厄介な勘違いをしないでほしい。
どこから言えばいいか、分からないじゃないですか。


「何をもらったんだ? ってまだ開けてもいねえし。そんなに大切な物なのか……」


更に勝手に想像を膨らませて落ち込んでいます。
本気で傷ついてるみたいな表情、
それ、何とかしてください。
見ていられません。


「違いますよ、大切じゃありません。じゃあどうぞ、あげます。
 捨てたら駄目ですから。ちゃんと使ってください」
「何!? 俺が貰っていいのか……?」
「いいですよ別に……僕、必要ありませんから」


ぐいぐいと押し付けて、なんだか顔が熱くなってきました、
ああもう、
よく分からない、
この感情が何なのか、



分かりません。



「古泉……俺、誰よりもお前を好きだって自信はあるから、
 そこのところは理解しておいてくれよ」




……真顔でそんなことを言うのもやめてください。







…………僕まで、頭がおかしく、なっちゃいそうです。







thank you !

2月オンリーの無料配布本です。「stairway step」番外編。
キョンバージョンと照らしてみてみるとなんだかアレです。
古泉そろそろキョンに落ちるといいんじゃないかな!

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